建築にまつわるエトセトラ

蛙(かわず)の見る空

リブ建築設計事務所 主宰山本一晃のブログです。

47回目 私たちが生まれる前の100年間に起こったこと

47回目 私たちが生まれる前の100年間に起こったこと
     ー技術革新と経済成長の関係を探る!ー

<科学の歴史から>

 最近「宇宙論」の本を立て続けに読んでいます。これは一種の現実逃避であります。(自分に原因があることも多々ありますが)最近世の中に対する疎外感、無力感が甚だしい・・・「宇宙」にはそんな苦しみは一切存在しません。癒されます。
 どの本にも必ず登場するのは、かのアインシュタインです。ある本では、科学における宇宙に対する認識(人間原理)の歴史をたどる中に登場しました。その内容はさておき、注目したのはその「時代」です。

アインシュタイン特殊相対性理論に続き、一般相対性理論を発表したのは1915年、このときすでにブラックホールを予言し、「重力は質量によってゆがめられた時空のひずみ沿った自由落下のことである」という説を唱えました。ブラックホールの存在については、その後様々な現象の発見により裏付けられてきました。重力理論については、まだ解明されていませんが、彼の説は全く色あせていません。1915年と言えば日本は大正時代、第一次大戦が始まった直後です。氏の先進性は驚くばかりです。

②さらに量子論1913年、既に発表されています。アインシュタインはこの理論が嫌いで、量子論を揶揄した「神様はサイコロを振らない」という言葉は有名ですね。量子の運動を記述するシュレデインガー方程式は、今もミクロの世界を表記する上で有効です。

③ところがところが、この頃もちろん原子の構造についての理論はありましたが、観測による確認はされていなかった!!これは、ラザフォード原子核崩壊の実験(1919年)や、電子顕微鏡の発明(1939年)を経て、20世紀中頃に、やっと立証されました。

 日本の長岡半太郎氏が原子模型の理論を発表したのは1904年のことですから50年おくれで立証されたわけですね。1950年頃にはDNAの二重らせん構造の発見(1953年)宇宙のビッグバン理論(1949年)といった、今の科学の基礎となる理論が、ほぼ出そろった感があります。

 では、その100年前はどんな世界だったのでしょう?年表をみると

1842年ドップラー効果
1843年熱の仕事等量(ジュール)
1859年ダーウイン「種の起源
1865年アボガドロ数

等が出てきます。何だ!高校の物理で習った程度の知識じゃん!

 私が生まれたのは、1960年。その前夜といえる100年間はわずか三世代程度の間に科学の世界ではすさまじい技術革新があったわけです。

<世界と日本史における1850年~1950年>

 では、その間における世界はどんな時代だったか?教科書的な話はなるべく簡潔に期します。

1850年
 ・1848年:フランス二月革命
 ・1853年:ペリーの浦賀来航
 ・1861年アメリカ独立戦争
②1900年頃
 ・1904年:日露戦争
 ・1914年:第一次世界大戦
③1950年頃
 ・1939年:第二次世界大戦
 ・1945年:日本がポツダム宣言受諾

 まさに戦争の世紀だったわけですね。何のための戦争だったか?大部分は植民地を獲得することによって、自国を繁栄させようとした結果です。
 宗主国は植民地から安い原料を仕入れ、製品を植民地に買わせる、いわゆる「収奪」により経済を成長させた結果、19・20世紀には、歴史上特異な現象が起こりました。それは「個人資産の実質的増加」です。

<経済成長は幻想か?>

 (集英社新書「没落する文明」萱野稔人神里達博より抜粋)
 「経済史家のアンガス・マデイソンが書いた『経済統計で見る世界経済2000
2000年史』という本はとても示唆に富みます。彼はこの本の中で、一世紀から二〇世紀までの世界経済の実態を統計的に調べ、人類が経済成長というものを経験したのはたかだか1820年以降の、ごく最近のことにすぎないということを実証しました。」

 ほぼ私たちが生まれる前100年は、人類の歴史上、初めての「経済成長」を経験した時代だったのです。
 その後西暦2000年あたりまでは何とか成長し続けましたが、それ以降は、ほぼ横ばいです。それなのに、私たちは経済成長はするものだと思い込んでおり、政府も再び右肩上がりになるという前提で政策を決定し、カンフル剤を打ち続けております。これは幻想ではないのか?

<「重ね合わせられないでしょ」定理を応用すれば>

  政府は「成長戦略」として常に「イノベーション」を持ち出しますが、技術革新すれば経済が成長するというのは、どうも怪しい!        Pdf_2

 現実的には科学はどんどん進歩しているし、生産現場の効率は日進月歩です。生産効率が上がれば、経営者は利益を得るかもしれないが、失業する人間も現れる。これが人口が増加し、経済が拡大していた時代であれば失業者も救われたが、今はそうではない。逆に人口が減少していて、なお競争が激しく、苦しい状況となる。イノベーションが進んでも、モノの量がニーズを超過すれば、成長には結びつかない「重ね合わせていけない」わけです。(46回目「それは重ね合わせられないでしょ!」をお読みください)
 したがってイノベーションのレベルアップに「重ね合わせ低減係数」をかけなければ、全体の経済成長レベルにならないんじゃないか?というシュミレーションが図示するグラフであります。

  ①のイノベーションレベルについては最初に述べました。1850年から1950年までは加速度的に技術革新がなされました。その後は一定の割合で発展していると仮定します。

 ②が「重ね合わせ低減係数」の過程です。終戦により物資が欠乏した1950年からバブル崩壊までは、需要が需要を生み出す時代でした。経済は、技術進歩以上に発展したと思われますので、係数は増加します。バブル崩壊後、どんどん重ね合わせ低減係数は1以下となります。このまま人口が減り続ければ、下がり続けるかもしれません。

 ③は単純に①に②の係数をかけたグラフです。イノベーションレベルのグラフは図のように右肩が下がります。

 さて実際の日本の経済成長はどんなグラフになっているのでしょうか?GDP合計および生産年齢人口当たりGDPを図示します。似Photo
た傾向を示していると思いませんか?
 正直自分でも「おおっ!」と思うくらい③の成長レベル曲線とほとんど同じじゃん!!
 これは西暦2000年時点で重ね合わせ低減係数=1という想定であり、実は「低減」になっていない状態ですから、係数が1以下になればどんどん右肩下がりになるということになりますね。
 上記①②③のグラフはあくまで、定性的な「イメージ量」であり、定量的な話ではありません。 でもお話したいのは、ものごとの変化率を長期的に見ないと、状況を見誤るのでは、ということです。

<日本語の歴史から> 

 明治時代は1868年に始まりましたが、その頃、書き言葉は、基本的に漢文文化でした。これを、日本語として文章化しようとしたのは、夏目漱石正岡子規の努力ですね。
 司馬遼太郎によれば、誰が書いてもほぼ同じ文章を書くようになったのは、1955年頃週刊新潮などの週刊誌が創刊された時期だという。これも私たちが生まれる前の100年間に起こったことです。それを私たちは、ごく当たり前に、以前から存在していたもののように使っている。

変化を見誤らないために>

  今回はいつもと少し趣を変えて、「歴史」から、今の私たちの置かれている立場を考えてみました。私たちが若いころ、成長を享受できたのは、その前の100年間の人々の努力や試行錯誤のおかげだという事がよくわかります。
 そのうえで上記のGDPグラフの意味を、言い換えれば歴史が経験してきた変化の意味を考えないと、将来の方向を見誤りますね。