建築にまつわるエトセトラ

蛙(かわず)の見る空

リブ建築設計事務所 主宰山本一晃のブログです。

37回目 サッカー日本代表の生きる道

37回目 サッカー日本代表の生きる道
     ー日本人のアイデンテイテイーを考えるー

パレスチナ紛争のニュースを聞いて>

 パレスチナイスラエルがまたもめています。互いに攻撃の応酬を続けている。半世紀以上も戦争を断続的に繰り返し、多くの人々が死に続けている。フッと「この執念は少なくとも今の日本人には持てないな。」と感じました。太平洋戦争で日本が戦ったのが4年間だったことを考えると、とてつもなく長期間、憎悪を持続しています。このしつこさと言っていいか、パワーといっていいかよくわからないのですが、我々の理解を超えてますよね。
 現在の日本人にとってはかつて戦争を始めるパワーがあったことさえ、想像できなくなってきました。

<日本における戦争への道程>

 前回、戦争中に「勇ましい言葉」が多くの悲劇をもたらしたこと、同じような言葉が今でも繰り返されることの危険性をお話しました。その前の戦争に至る過程においても、今の時代と驚くほど符合することが多いということを知りました。(ということは「戦争から学んでいない」と言えると思うのですが。)「ドキュメント 太平洋戦争への道(半藤一利著)」より引用します。

  「ヨーロッパの戦場では、ドイツ軍の快進撃だけがあり、明日にでも英本土上陸作戦が敢行されるのではないかと思われる。だから”バスに乗り遅れるな”の声は海軍部門で高唱されるようになっている。」
 「(外相の答弁)「ただわれわれの毅然たる態度のみが戦争を避けうるであろう。」

 なにかTPPや集団的自衛権の議論で同じような言葉を聞いたような気がします。
山本五十六は、戦力を分析した上でシュミレーションを行い、対米戦争に勝ち目はないことを立証して最後まで戦争を回避しようとしましたが、上記の「空気」を変えることはできませんでした。本当に必要なのはこういった「緻密さ」ですね。

<ワールドカップブラジル大会を見て>

 サッカーは戦争じゃないけど、「戦術」「体力」「テクニック」が必要という事で多くの共通点がある。前回もお話ししましたが、日本のサッカーは着実に進歩しています。「テクニック」の面では遜色ありません。あくまでボール扱いという意味ですが、昔はこの点で徹底的に劣っていました。2002年の日韓W杯で世界と戦えるレベルに達したと思いますが、当時よりも格段に進歩しています。
 2006年のドイツ大会は今回と同じような結果でした。(一次リーグ敗退)ジーコ監督は「日本人はフィジカルで劣る」と言ってチームを去りました。「そんなことが本番までわからなかったのか?」という反応もありましたが、テストマッチではなく、「本番における体力というか執念」が劣っていたわけですね。
 2010年の南アフリカ大会の際は、守備的な戦術をとることによって結果として「体力の差」が出にくい戦い方をしました。これが一次リーグ突破に結びついた。サッカーという競技は、「戦術」により他の部分をカバーできるところが面白い。でもこの時の戦術はサッカーファンとしてはとても不満でした。
 そして今回のブラジル大会。この4年で香川や本田といったワールドクラスの選手が育った結果、攻撃的な戦術をとることができた。見ていてずっと面白かった。方向性は間違っていない。ただ、みなさん感じたと思いますが、さきほどから出てきている「体力」(肉食獣的な能力といってもよいかと思いますが・・)でかなわなかったし、最初の中東戦争の話ではないですが、この点でアジアはヨーロッパやアフリカにはとてもかなわないな~と感じた方は多いと思います。(それがすべてだとは思いませんが)貧困から這い上がって来た選手とはサッカーにとりくむ目の色が違うんだと指摘する人もいます。さてどうすればよいのでしょう??

<君はミュンヘンオリンピックの男子バレーボールチームを知っているか?>

 1972年のミュンヘンオリンピック松平康隆監督が率いる男子バレーボールチームは、金メダルを獲得した。この快挙はなぜ可能だったか?バレーボールはサッカーよりも身長や体力がモノを言う競技です。これを意識した上の「戦術」を考えたわけですね。
 垂直方向の「高さ」ではなく、「水平方向の移動」や「タイミングをずらす」ことにより身長の差を克服することを考えました。これは「A・B・Cのパターンを持ったクイック」とか「時間差攻撃」というそれまでなかった戦術に結実しました。それだけではなく「フライングレシーブ」「天井サーブ」といった、日本人のすばしこさやアイデアを生かした戦法により、相手を幻惑させました。見ていてもわくわくした。
 ここで挙げた「奇策」ばかりではなく、「選手をスターにまつりあげる」「バレーボール人気を盛り上げる」といったあらゆる面からの総合戦術が実を結んだ結果でした。これはミュンヘンへの道」というアニメに描かれているのですが、何とこのアニメは、現実と同時進行するという形態をとりました。これも注目を引くための「戦術だ」ったわけです。
 こういう努力をサッカーでもやってほしいですね!!

サッカー日本代表の進む道>

 今回優勝したドイツチームはバスケットボールのようなパターン化した戦術を用いたという。もともと「体力や忍耐力」に定評のあったドイツチームに「戦術」が加わることにより鬼に金棒状態たっだわけ。日本チームがこれに追いつくには、さらに上回る「戦術」が求められます。
①「体力」で勝負するのではなく「かわす」ことを考えましょう。柔道には「柔よく剛を制す」という言葉がありますよね。体力も必要な時にとっておくことを考えましょう。
②最後の一瞬を決めるのはやはり体力や執念です。よく「決定力がない」という人がいますが、これは違う。ブラジルの試合を見ていただくとわかりますが、決定的なシュートを何本も外している。彼らの強さは、それ以上にチャンスを作れることです。今回正直言ってボール支配率が高くても、チャンスは少なかった。そのための「戦術」に欠けていた。これは反省すべきです。

<日本人のアイデンテイテイー>

 思い描いているのは、サッカー代表だけでない日本人のアイデンテイテイーに関してです。「体力」や「戦力」ではなく「戦術」や「テクニック」で勝負できないかという話です。
 内田樹氏によれば、西洋の学問を自国語で学習できるのはほぼ日本語だけだそうです。言われてみればそうかもしれません。かつて中国文化を取り入れるにあたって表意文字である「漢字」と表音文字である「かな」をどちらも使うことにしたのは、日本の歴史上最高の「戦術」のひとつですね。福沢諭吉らは表意文字を駆使して「政治」「思想」「哲学」といった翻訳造語を生み出した。造語では対応できなくなっても表音文字でそのまま表現できる。これによって英語をマスターしなくても学問ができ、「和魂洋才」が保持できました。
 あるいは戦後の吉田茂(人間的にはあまりよいイメージではないのですが)は安全保障はアメリカに任せ、アジア情勢の変化により、再軍備を求められても、これを拒否しながら経済復興に専念するという「戦術」をとりました。
 こういった「構想」と「戦術」が今の日本には欠如しているような気がしませんか?「構想」(目的)があって初めて「戦術」(手段)が建てられるのですが、どうも一貫した構想・思想が感じられません。
 ひとつは、人々の考え方や姿勢が多様になりすぎて「一貫した思想」により物事を決定するという事が不可能に近いということがありますね。従って「こうあるべき」という思想は追いやられ、「決定できるように決定する」という便宜主義になってしまいます。「社会が理屈のある結論に達することの困難さ」についてはこのブログでお話してきました。
 でも私たちはここで例を挙げたように、「知恵」により、アイデンテイテイーを守ってきました。太平洋戦争は大失敗でしたが、そのあとは同じく「知恵」により復活してきた。
 水野和夫氏によれば、今は資本主義が行き詰まり、新たな体制への移行期にあたる「長い21世紀」の途中らしい。社会的にも変革が必要な時期にあることは何度もこの場でお話ししてきました。
 「日本はうまくやってる!」「日本には一杯食わされるな!」と思わせるような戦術をたてるのは、かしこい日本人の得意技のような気がするのですが、なぜできないのだろう?政治の世界は難しいかもしれないけれど、「サッカー」の世界ならできるんじゃないかな??