建築にまつわるエトセトラ

蛙(かわず)の見る空

リブ建築設計事務所 主宰山本一晃のブログです。

24回目 身近じゃないけど困った人々

■H25年10月18日

24回目 身近じゃないけど困った人々
      ~TVで見かけ
る人々に向かってぼやく

<最近の「そこまで言って委員会」にぼやく>
 (あえてたかじんの」をつけなかったのは、やしきたかじんが出演しておれば、こうはなっていないのではと思うからです。)
 この番組は一週間で唯一、「ながら」はせずにじっと見る事にしている番組です。この番組を見始めてから(その頃はあまりネットに親しんでなかったこともあり、)巷で流されているニュースを眺めるだけでは上っ面だけをなでてるだけで、背景は見えてないということに気付かされました。それからはこの番組で議論されるまではニュースに対しての判断を保留するようになった。また異端とされる識者を呼んで話をきくと、世の中の別の真実がみえてきた。その最たる例が武田邦彦をブレイクさせたことですね。氏はこのブログでも何度も登場いたします。(12~14回目「僕が武田邦彦氏に拍手をする理由」等等)あとロバートゲラー氏、小田晋氏、上杉隆等も同じく、核心にせまるお話をされて私も刺激を受けました。それは出演者にとっても同じで、その刺激が出演者の知性によって咀嚼され(あるいは思いっきり否定され)ることにより、視聴者の腑にストンと落ちるというのが、この番組の魅力だと思っています。
 ところが最近は、単なる出演者の主張の場になっていて
、「困ったなあ、面白くないなあ」というのが私の感想です。この頃多いパターンが、一回の中でいろんな話題をピックアップして議論をするというもの。この方法では深い議論は出来ません。(話題が多いほうが視聴率をかせげるのかなあ?)結果として出演者の個性やイデオロギーが表に出るだけ。イデオロギーを持つのは自由です。ただ物事をイデオロギーではなく、客観的な事実の指摘に対する理解力と想像力(それは思わぬ結論に至ることもある)によって把握する事により、新しい世界観がうまれる。議論の結論はそうやって導かれるべきですよね。この委員会ではそういう方向を望みます。「私は左派なので憲法改正は反対です」というだけの主張ではなにも進展しないわけ。
 その意味で
「困った人やなあ」と思うのは(あえて名前を挙げさせていただきますが)金美齢ですねえ。氏は大衆に迎合しない意見を明確に言いますし、気概のある方だとは思いますが、科学者や経済学者が理屈を説明すると、「私には理解できない」とあきらめます。(正直な方ではありますね。)物事は理屈で判断して欲しいのです。その一方「総理大臣にふさわしいのは私だ」と主張されるのは、もし本当になれば市民にとっては困ったものです。彼女に櫻井よしこが加われば、最強軍団。方向は見え見えで、もう番組を見る必要もありません。
 
宮崎哲也氏山口もえはいつも物事を冷静に見ておられます。このふたりが抜けちゃうともう、単にうるさい集団になってしまうでしょう。

<そして安倍総理・・・・>
 この金美齢氏が崇拝するのが安倍総理。総理のことを「困った人」と思うのは現在多数派じゃないかも知れませんが、一定数存在します。理由があるのです。例えば
国民主権国家における憲法の定義を理解していない
 *これについてはhttp://www.youtube.com/watch?v=G9_lN5S121kに詳しい
IOC総会における福島第一原発の汚染水が「アンダー・コントロール」と発言した件
水俣条約採択会議の開会記念式典に寄せたビデオメッセージの中「日本は水銀による被害を克服した」と述べた件。
④「2050年までに世界の温室効果ガスの排出量を50%削減することに責任を持つ」と発言した件
 *②③④は最近の話ですね。いろいろコメントされてるのでここでは詳しくふれません。ただこれらを見ていると、かつて鳩山総理が退任した後、「総理大臣というのは裸の王様だ。回りの人間は都合の良い事しか言わない。」と述べていた事を思い出します。(他人のせいにするなよ!)
 ここではよく安倍総理が口にする愛国心について述べるのがわかりやすいかと思います。「愛国心」は総理が教育基本法に取り入れ、憲法改正案にも「愛国心」に基づく責務を盛り込もうとしています。上記②と③にも共通した話なのですが、国民一人一人は様々な事情をかかえながら生きている。その立場に立つと国が不条理をしている話もあるわけです。それらを無視して、ワンサイズのお仕着せをするのが妥当か?ここで浜矩子氏が、とある講演で語った話を思い出します。
 世界的なテノール歌手であるホセ・カレーラ氏バルセロナ出身のカタロニア人。(カタロニアはスペインからの独立志向の高い民族です。)彼がスペインという国にどういう思いを持ってるかというと、「自分が、カタロニア人であることのアイデンテイテイーと人権をスペインという国から認められれば認められるほど、自分のスペインに対する帰属意識は高まる」と語りました。
 「愛国心」も同じですよね。ほとんどの日本人がサッカーの日本代表がたたかうときに「愛国心」を感じるのは「日本人の一人として応援する事を誰もが尊重し合い、認め合えるから」です。だから「愛国心」は「自分が日本国から承認されている」と感じた時に持てるものであり、いろんな事情でそう思えない人達は必ず存在します。それを強要するのは問題です。
 安倍総理は立つ位置を少し間違えているのだと思います。彼のようなスタンスを権威主義といいます
。「自分がリーダーシップを発揮して」とか「日本が世界のリーダーとして」とかいうセリフをよく聞きます。そもそも「リーダーシップ」という言葉は権威を持つ人自信が使うのは不自然ですよね。回りの人が「あの人にはリーダーシップを感じる」というのが正しい用法だと思います。ただ確かに多くの人達は「ヒーロー願望」を持っていて、そう言う人達にはふさわしい人物かもしれません。ただ思うにそれは利益を分配できている間だけのヒーローではないかな?と想像します。
 でも私はもうそういう政治はいらないと言いたい
!「国はあなたが頑張ることをなるべく邪魔しません」「そのために何をどうしたら良いかはあなたも社会に参加して決めて下さい」「でもどうしようもなくなった時は助けますよ」と言って欲しい!それなら愛国心」は自然に芽生える!そういう立場を「参加主義」といいます。これが成熟社会(成長しない社会)において必要な政治スタンスだと私は切に思います。

<逆に最近テレビで見た「ナイスコメント」!>
 タイガースファンとして有名な経済学者の国定浩一氏は「村上春樹氏がノーベル賞を受賞していたら経済効果はいかほどですか?」と聞かれて「文化・芸術の価値を金に換算するのはやめましょ!」とさらりと言ってのけた。ナイス!!