建築にまつわるエトセトラ

蛙(かわず)の見る空

リブ建築設計事務所 主宰山本一晃のブログです。

25回目 「私達」は私達を大事にしていない!

■H25年11月25日

25回目 「私達」は私達を大事にしていない!
里山資本主義④ 物事を「小さく回す」必要性

<私はある女性に頭が下がります>                                  Photo_3
 
大阪地下鉄の難波駅構内に「エキモ」というショッピングモールがオープンした。右の写真の右側は以前壁でしたがショップが連なる通路となった。
 ここでよくある女性を見かける。彼女は体が不自由です。病名はわかりませんが
、関節がうまく動かず、体をねじるようにして歩く。壁に手をついて寄りかかりながら、休み休み歩を進める。以前は朝見かけました。私が仕事の都合で15分早くここを通るといつも見かける場所の30Mくらい手前を歩いていた。それくらい時間がかかるわけ。私の通勤時間が少し変わり、最近は夜見かけます。力を振り絞って歩くその姿を見るたび、つまらないことに愚痴を言う自分が情けなく思え、彼女に励まされてしまいます。
 ところが「エキモ」が出来て、片側は完全に壁がなくなってしまい、片道は人の流れに反して写真の左側の壁に頼らざるを得ない。しかもこの壁は広告だらけで手摺はありません。
 実は数年前、この左側の壁の奥に
「aiaiモール」ができ、その部分は壁がなくなってしまった。彼女はそういう場合、柱に手をついて少し休み、次の柱まで一気に歩きます。当時これは大変だろうと思い、駅員(助役の赤松さんといいました。)さんに「こういう女性がいるが、手摺をつけたらどうか?」と尋ねたところ、「そういうことは、本人が申し出てくれないと受け付けられない」という返事でした。「とにかく一度歩いている姿を見てもらったら、私の言ってることがわかるから」と名刺を渡し、結論が出たら連絡してくれるようにとお願いした。その後赤松さんからは何の連絡もない。
 で、今度は「エキモ」の工事。今度は手摺がつくかな?と見ていた。左の壁にテープで何か印をしていたので、手摺の支持金具の取付け位置なのだろうと思っていましたが、ついにつかなかった。そこでまた問い合わせた。(今度は
助役の金森さんという方です)曰く「そういう要望で手摺を付けだしたら通路全部につけないといけないので不可能。」とのこと。なんとなく理屈が通るようにも聞こえますが、果たしてそうでしょうか??

<システムが大きくなるほど「良心」が欠如していく>
 
この理屈に反論はいくらでもできます。例えば、鉄道の駅には、列車が到着したときに連動して開く扉の付いている、転落防止柵が設置されてる駅とそうでない駅があります。これは全部つけなくてよいのか?必要なものはより必要なところからつけていけば良いだけですよね。現に「大阪市福祉のまちづくり条例」には「障害者の利用頻度の高い建築物等では(義務ではないが)手摺は両側に連続して設けることが望ましい」と明確に謳われている。それを「義務でないものはすべて不要」と結論づけてしまう背後に何が存在するかというと、23回目でも述べましたが、「現場を見てイマジネーションを働かしても仕方のない仕組み」が出来ているからです。この場合で言うと、「自分ひとりが手摺が必要と思ったって仕方がない」組織ができているのです。これは「システムが大きくなるほど「良心」の入り込む隙間がなくなっていくからです。(19回目の伊坂幸太郎の言葉を参照してくだPhotoさい)実際見たら必要と思わない人間はおそらくいません!!
 ちなみに
「手摺をつける予算がないから」という理由は全くあてはまりません。まあこの写真をみてください。私は建築に携わる者としてあきれます。これは柱の足元の写真です。細い金属の棒状の装飾が円弧状に埋め込まれています。一度床の石張りをした後、張った石を円弧状の溝の形にカッターで切り抜いてから、棒状の金属をまげて、差し込んでいました。手間のかかる工事です。固い石が現場で円弧状に綺麗に切れるはずがなく、見てもらうとわかりますが、手間と金がかかってる割に効果はほとんどありません。こんな設計するほうも間違ってますし、金の使い方が全く間違っています。

<「私達」にとってひとりひとりは他人ではない!>
 「私達」は私達の「社会」のことです。
社会の仕組みを考える際には、「ある人に起こる事は自分にも起こりうる」という考え方が必要です。(そのためには「イマジネーション」が必要です・・)これが民主主義の根本のはずなのですが、なぜか「自分の利益を主張」して「多数決でものを決める」のが民主主義だと考えられている節がありますね。
 たとえば(誤解を恐れずにいうと
)「障害者は『四つ葉のクローバー』です。」生物の世界では異常は一定の割合で発現します。ある庭で見つかる四つ葉のクローバーを全部摘み取っても、しばらくすれば同じ割合で四つ葉のクローバーは現れます。これは「ある障害者が、もし存在しなかったら、その症状は自分に発現していた確率がある」ということです。だから障害者には「手を差し伸べて助けてあげる」のではなく、「自分が正常であることをその人に感謝する」のが正しい態度なわけ!!

<物事を「小さく回す」必要性>
 物事を「小さく回す」
ことによって、上記のような冷たい社会をなくすのが里山資本主義」のひとつの目的だと思います。「里山資本主義」の考え方については20回目~22回目に紹介しています。
 たとえば最近の「メニュー偽装問題」。そんなに騒ぐ問題じゃないという人もいますが、「法律」を犯してなければ罪は軽いと考えるなんてとんでもない!「仁義」は「法律」よりも重い!こんな事が、店主と客が顔なじみの小さなレストランで起きるでしょうか?
組織が大きくなって、客の顔が見えず、責任も分散されてしまうから、こんなことになるわけですね。アメリカ軍の無人殺戮機の原理と同じです。
たとえば「伊豆大島」で起きた台風による土砂崩れに対して、国の避難勧告の方法が不備だったという指摘があります。これも国による大きなシステムに頼るからいけない。自分たちの島のことは自分たちが一番知ってるのだから(たとえば地盤の弱い場所とか・・)小さいシステムを併用することで、初めてきめ細かな対応が可能になります。

<今日も彼女は歩き続けます>
 
南海難波駅から千日前線難波駅までの乗り換えは本当に遠い。私も疲れた日にはうんざりしながら歩きます。本当は動く歩道とか「ボランテイア人力車」のようなものがあればよいのですが・・。彼女の他にも、杖をついた人やびっこの方もよく見かけます。そのたびに「弱い者に冷たい社会やなー」と嘆きます。「エキモ」は大阪市が商売のためにやってる施設ですよ!。商売も結構ですが、そのために困ってる人がいることを想像できないのか??せめて手摺くらい何とかならんのか??と思います。本当に!!!