建築にまつわるエトセトラ

蛙(かわず)の見る空

リブ建築設計事務所 主宰山本一晃のブログです。

26回目 「苦難」を克服するもうひとつの方法

■H25年12月19日

26回目 「苦難」を克服するもうひとつの方法
里山資本主義⑤ 社会の包摂度を高める必要性

<あなたは「出生前遺伝子診断」を受診しますか?>  

 今年11月22日のニュースです
「今年4月から9月末に、ダウン症や18トリソミー、13トリソミー(注:どちらも染色体異常障害です)を調べる新型出生前診断を受けた3514人のうち67人が陽性反応となり、少なくとも53人が異常確定後に中絶したことが判明した。」

 難しい話ですね。どう判断したらよいか迷いますね。

 ニュースでも報じられていますが、そもそも妊婦はまず出生前診断を受けることに悩んだはず。中絶率が高かった背景としては、受診した多くの人が陽性の場合、中絶しようと決断していたことが予想される。その決断をしなかった多くの人は受診できなかっただろう。(敢えてしなかったか、できなかったかはどちらもあると思うが・・)でも受診しなかった人の子に、もし異常が発現した場合、その人は自分を責めることになるかもしれない。中絶した人は、生まれるはずだった子に結果的に異常が発現しなかった可能性について苦しむかもしれない。そもそも中絶すること自体、体によくはないし、このような判断を迫ること自体どうなのでしょう?あなたならどうしますか?
 そもそもこういう判断を個人に委ねることに疑問を感じますよね。社会としてどう対処するべきなのでしょうか?

 

<人体という組織は「効率的」にはできていない> 
 
あらゆる組織の中で(会社とか機械とかソフトウエアとかすべて含めおよそ考えうる組織の中で)「人体」ほど、緻密で完成度の高い「組織」はないでしょう。そのベースにあるのは、「多細胞システム」だと思う。すなわち、神経系や血管系といった全体システムが存在する一方、ひとつひとつの細胞はDNAという形で、全体を制御する情報をすべて持っている。会社で言うと、一人一人の社員が、会社の経営情報をすべて知ったうえで自分の分担業務をしているようなものです。レベルの高い社員を集めた非常に贅沢な会社なわけ。だからこそ、刺激に対する脳の反応のように、連携した動作が出来ます。ある刺激に対して、主に担当する部署が損傷しても、別の部署で代行することが可能なシステムになっています。
 これはある意味とても「非効率」な仕組みです。先ほどの会社のたとえでいくと、一人一人のデスクに会社のすべての情報が保管されているのですから。でも先ほど述べたように、この仕組みによって、リスクに対する抵抗力が高まりますし、そもそもある中央部署がすべてを管理して指示を出すには、「人体」という仕組みはあまりにも複雑すぎます。一人一人が設計図となる全情報をもちながら、自己組織化する能力が必要なわけです。Pdf
 これを社会における統治システムに置き換えると、中央集権主義では、地方や弱者の隅々まで目が届かない。分権主義社会の方が包摂度が高く、リスク管理能力が高いということになる。21回目の話の中で里山資本主義のイメージ図を示しましたが、この構造はまさにこの人体の仕組みと符合します。(右図)
                        

<それでもリスクは0にはならない> 

 西暦2000年にヒトゲノムの解読が完了した。これで生命の仕組みがすべて明らかになると期待されたが、ふたを開けると、たんぱく質を作る設計図部分は全体のわずか2%程度であることが判明した。当初残りの98%の役割は不明だったので、「ジャンクDNA]などと呼ばれていた。今ではこの部分は調節制御やリスク管理に用いられているらしいと言われている。また、ないと困る大事な部分はコピーをとって保管しているらしい。
 これは福岡伸一氏が「生物と無生物のあいだ」(講談社現代新書)で書いている話ですが、氏の研究で、ある臓器の細胞に取り込む物質を制御しているたんぱく質を解明し、そのタンパク質を作り出すDNAの部分をノックアウトしたマウスを育てたところが、そのマウスは全く正常に育ったそうな。生命というのはそれだけ懐の深い(社会で言うと包摂度の高い)仕組みなわけですね。
 それでもリスクは0にはならない。癌細胞は細胞分裂という多細胞生物の仕組みそのものを利用して増殖する。外敵であるウイルスも進化する。複雑すぎる仕組みのバランスがくずれ、失調症が生じる。やっぱり人は苦しむ。何とかならないのだろうか?

 

<私たちは成り行きで進化してきたんですよね> 

 そもそも私たちは人間になるために進化してきたのではないのです。「病の起源」(NHKスペシャル)の内容が正しければ、私たちが二足歩行に移行した原因は、二本足で立ち、両手で雌に食料を持ってきた雄が、優先的に雌と交尾できて子孫を残せたからとな。その結果「腰痛」から逃れられない。同番組によると、脳は、古い脳の上に成り行きで新しい脳を載せており、血管が長くなりすぎて脳卒中になりやすいそうな。進化によってリスク対応能力を高めるだけでは構造的に複雑すぎて制御できなくなくなっちゃったんですね。そもそも「進化」は種が生存するための戦略にすぎないのだから、一人一人の生存は関係ない。アフリカのヌーが100万頭もの集団で大移動するのは、、ライオンに襲われる可能性を高めているようですけど、これは却って何頭か食われる方が、生き残る総数が多いという戦略なんですが、これと同じことです。
 なので個人にとっては進化の方向性は正解とは限らない。正解でない部分は自分たちで何とか正さないといけませんね。

 

<苦難に立ち向かうもう一つの方法> 
  例えば「交通事故を0にしよう」という目標を立てたとします。これは自動車社会を現状のままにして達成できるか?人間の不注意や自動車整備上の不備をOにできるか?というと無理だと考えるのが常識でしょう。かつて民主党政権鳩山首相が「生活道路は時速20Kmに規制するのが良いと思う」と言ってましたが、この人は車を運転したことがないですね。きっと!これはリスクを0にするためには皆バカになれ!と言ってるようなものです。」もちろん交通事故を減らす努力はできるし、するべきですが、あくまで社会常識の範囲でするべきですね。あるひとは「リスクを0にせよというのはファシズムである」といいました。
 もう少し悩ましい例を挙げると、東北の復興において津波対策をどうするかというのがあります。津波を真正面から防ぐ方法としては、何十メートルもの防波壁をつくるか、津波のおそれのある地域の立ち入りを禁止するしかない。でも津波の恐れは日本中にある。この対策はまさに「ファシズム」ですね。
 先ほどの交通事故の例に戻ると、私たちはどう向き合っているのでしょうか?ひとつの救いは「原因をなくすため自分の意志で注意することができる」ことです。それでも事故は起こりますがその場合「保険制度がある」「ちゃんと救急車がきて病院に連れて行ってくれる」というバックアップ機能がある。ということで対処ができます。でも運が悪ければ死亡事故も起こる。そのリスクを引き受けた上で、やはり自動車を使うということが、社会的な共通認識になっているわけですね。津波対策の話が悩ましいのは、すぐ避難できる場所とか、どこかに取り残されたと時に助けに来てくれるしくみが、整備されていないからです。
 つまり、苦難に立ち向かうもう一つの方法は「苦難に直面した時の対処方法を万全にしておけば、あと結果がどうなるかは運命だと割り切って考えることができる。」という社会としての意志です。
 

<「私たちの意志」はどこへいった!> 

 で、話を人体の話に戻します。人体の仕組みについては脆弱性は認めざるを得ないものの、確かによくできている。ですから社会の仕組みを人体に倣うのは、間違っていないでしょう。ここで、人体のメカニズムと上で図示した社会のメカニズムにはひとつだけ大きく異なる要素がある。それは「社会は人体内部とは異なって、自分で観察でき、私たちの意志でコントロールできる」ということです。社会をつくる動物だということ自体、進化の結果なので、進化の悪口ばっかり言ってられないけれど、「個人には手に負えないものは、社会で対応できる」ということです。先ほどの「交通事故」の例でいうと、「保険制度」や「医療システム」が整備されているということ。
 だから「出生前遺伝子診断」を実用化するのであれば、まず
社会におけるバックアップを十分確保しないといけない。すなわち、子供が遺伝に基づく病気になった時、親をどう支援するか、子供が送る一生をどう支援するか、という仕組みを用意しないのは無責任ですね。こういう仕組みが、整っていれば、病気を運命として受け入れることができる。それでもやはり、リスクを減らしたい人は、自分の意志で診断を受ければよい。
 この場合でも、リスクを0にするのはほとんどファシズムです。遺伝が関係している可能性のある病気はがんの他に「糖尿病」「神経変性疾患」「アトピー」「アルツハイマー」等々きりがない。
 ただ、さらに言えば、遺伝子異常や、前回(26回目)触れた身体障害については
、「人間が共通に持っているリスクなのだから社会が対応する」というのが大原則でなければならない。そういう意味では、出生前遺伝子診断をするのであれば、検査料は社会が負担するのが筋でしょうね!こうして社会の包摂度が上がれば、不要な将来不安が解消され、人は貯蓄を消費に振り向け、経済もよくなると思うのですが。
 現実には「エコカー減税」「家電のエコポイント制度」などという、耳触りの良い名目のもとに、税金は大企業に手厚く分配されているのが現実です
「私たちの意志」のありかたはどうも社会として採るべき方向と一致していない思いませんか?

 
<ひょっとして私たちの不完全さは進化の余地となりうるのでしょうか?>

本稿は「社会の包摂度を高めることが不安の解消につながり、苦難に対するもうひとつの対処法となる」ということを述べるのが趣旨です。「出生前遺伝子診断」については、その説明のための例として挙げたのですが、「私たちの社会は生命のメカニズムとうまく折り合いをつけることができていない。」という話の方に少し話題が振れてしまいました。書きながら、これについては、もう少し話を整理する必要があると感じましたので、次回の課題としたいと思います。
 「進化」や「本能」といった、生命のメカニズムは、私たちの社会にうまく働いているのでしょうか?私たちが進化によって獲得した「自己意識」や「意志」はどう生かせばよいのでしょうか?
 「人体のメカニズム」が完璧であれば「社会のシステム」もそれに倣えばよくって話が早かったのですが、なかなかそうはいかない。これは難問ですね!