67回目 心を休める時間について
ー立ち止まって、ゆっくりとー
<せわしない日常>
若者が数人たむろして暇を持て余しながら「なんか面白いことないかな~」とつぶやく。かつては日常的にあった光景ですが、今は見られません。今はみんなスマホの画面を見つめていますよね。
最近のTV番組は、例えば1時間番組の場合、「視聴者が1時間じっと画面を見つめて番組を見ているということはない」という前提で場面構成をしているという。たしかにそうです。本当に見たいなという番組が少ないこともありますが、ほとんどBGMとしか認識していない。じっとしている時間がもったいない。逆にそれがろくな番組ができない原因になっているのかもしれませんが。
<女木島の美容室>
鏡ではなく海を見ながら髪を切ってもらう。そんな美容室が高松市の沖合に位置する女木島にありました。この美容室は、瀬戸内国際芸術祭の作品としてつくられたのですが、なかなか鋭いアイデアやなあと思いました。
髪を切ってもらってる時間は、強制的に休息させられる時間です。もちろんスマホは見れませんし、まあ無理やり雑誌を見ることもできないではないですが、私の場合はたいてい散髪屋さんと無駄話をしています。ならば、その間、うっとうしい自分の顔を見るのではなく、美しい風景が見られたら、心が休まりますね。平静な心持で物思いにふけることもできそうです。
この美容室はドキュメンタリー番組で紹介されていたのですが、例えば50歳になる人生の節目として髪を切りに来た女性もいました。どんな思いで髪を切ってもらっていたのでしょうか?美容師さんによれば、髪を切ってるときに鏡を見たいといった人はいなかったそうです。
他にこのような時間を持てるのは、寝てるとき以外は、病院で点滴を打ってもらってる時くらいではないでしょうか?
<心の傷を癒すこと>
TV番組で、もう一つ別の場面構成の手法として、ローラーコースタームービーのように展開を速くして、息をつかせないことによって画面に注目してもらおうというやり方がある。「相棒」なんかその一つだと思います。確かに退屈しないのでチャンネルを変えるという機会を少なくするという意味では成功しているかもしれませんが、見ながら物を考える隙間もないので、いわば「思考停止」させる番組ともいえる。
「心の傷をいやすこと」(NHKの土曜9時ドラマ。R02年1/18~2/8計4回)は意識してその真逆の作り方をやってるのではないかと思う。主人公の精神科医のセリフはテンポが遅く、ボソボソという感じで聞き取りにくいので、TVの画面に近づいて見てしまう。もちろん精神科医が患者に話しかける際は、時間をかけて相手の気持ちや反応を考えながら話すものでしょうから、当然そうなるのですが、ドラマ全体がそういう場面展開になっている。多少じれったいと感じる部分もあるが、いろんな事を考えさせる内容なのでそれにふさわしいテンポだともいえます。
実は、このドラマの主人公のモデルであり、原案作成者である安克昌氏(2000年没)は中学・高校の同級生であり、机が隣同士だったこともあるので、特別な思いで見ています。
彼は、阪神淡路大震災後、心の傷ついた人々を診ながら、当時まだ深く認識されていなかった「心のケア」の概念を手探りで確立していった人物です。
どんなに慌ただしくって混乱状態であっても、心の傷を癒す診察においては、ゆっくりと、ゆっくりと話に耳を傾け、アドバイスを与える、それがこのドラマのペース配分です。したがって多くのストーリーを描くことは不可能で、凝縮された言葉が淡々と流れていく。私としては、もっと患者との会話シーンを長くしてほしかったなーと思いましたが。
<36時間に来ませんか>
自分のペースで生きると24時間で足りないのであれば、1日を36時間にしてしまおう!
ゆっくりゆっくり 悲しみは癒えるだろう
大切に大切に 愛する人と歩くだろう
おそるおそる 人は変わってゆけるだろう
追いつめられた心たちよ 36時間に来ませんか
(中島みゆき 「36時間」)
<私の日常>
私も今年で60歳になります。認知機能は徐々に低下してる。ものを忘れないように、極力メモを残すようにしてますし、動作がどうもぞんざいになりがちなので、ドアを閉めたり、スイッチ操作などはなるべくゆっくりするようにしています。
ゆっくり過ごしたら、悩みが解決するわけではないですが、慌てるのはダメなのは確か。本当に一日が36時間になればいいんですけどね・・・