建築にまつわるエトセトラ

蛙(かわず)の見る空

リブ建築設計事務所 主宰山本一晃のブログです。

42回目 「円」のホットスポットについて

42回目 「円」のホットスポットについて
     ーペレストロイカのてんまつー 

<世界を変えた男 ゴルバチョフ

 「世界を変えた男 ゴルバチョフ」(ゲイル・シーヒー著 飛鳥新社を読みました。たまたま古本屋さんで目についたので手に取りました。以前からゴルバチョフについては、不思議に思っていたことがあったのです。
 彼がもし下っ端の頃から「ぺレストロイカ(改革)!」と叫び声を上げていたら、共産党の中で書記長の地位まで上り詰めることができたとは思えない。それまでに蹴落とされていただろう。それなら、「改革」の信念を心の中に隠しながら、ひたすら書記長を目指していたのか?であればそれはこの上なく忍耐を要することだと思う。果たして真実は如何なるものだったのだろう?この疑問にこの本は答えていました。
 回答は後で述べますが、とにかくゴルバチョフが若かった頃(彼は1931年生まれ)のソビエト連邦の内情は悲惨だったようです。彼は農村出身ですが、共産党プロパガンダとは裏腹に、貧困にあえぐ毎日でした。集団農場における生産性はどんどん落ち込む。しかも成果はモスクワ指導部にさらわれる。国で生産される工業製品は質が悪く、例えば国内産の「靴」ではまともに歩けなかったそうです。
 国の富はほとんど共産党が密かに独占していた。彼が昇進して、共産党の幹部になった時には、専用の車をあてがわれ、幹部用の別荘(これらは庶民の目の届かない場所に隠されていた!)では、何不自由のないバカンスを過ごせたそうな。当時の「共産主義」というのは、形を変えた「王政」と何ら変わりなかったという事ですね。
 しかも、若者が貧困から抜け出そうとすれば、唯一の方法が共産党に入って昇進することであった。そういう、個人ではどうしようもない強固な社会システムが作り上げられていたわけですね。結果「富」は途方もなく偏在していました。

<「制度」が「富の偏在」をもたらす>

 さて、申し上げたいのは、このような社会は我々とは、無関係なのだろうかという事です。

 まず、私が経験したお話をします。聞いていただければ、これはこの社会の片鱗のそのまた一部だろうと想像できると思います。

 私の母は、認知症です。症状が悪化してほっとけない状態になりましたので、老人ホームにお世話になることにしました。以前デイサービスを利用していた頃から感じていましたが、介護の仕事に携わる人達を見ていると献身的な仕事ぶりに本当に頭が下がる。母の命を預けているわけですから、仕事の内容はお医者さんと同じ価値があるはずですよね。
 でも、よく言われるように、「介護」や「福祉」の仕事は給料が安い。私の娘は大学で心理学を学び、「精神福祉士」の資格を取って、福祉関係の仕事をしていますが、仲間内では結婚しないというのが不文律になっているそうな。夫婦で同業では生活できないからという理由です。
 さて、老人ホームに入居してしばらくすると、施設と提携している医院から案内が来て、「訪問診療の契約をお願いします。」とのこと。
 このサービスについては入居前から、月1800円ぐらいかかるとは聞いていたので、そのつもりはしていたが、とにかく内容の説明を受けることにした。でも月々医者代に1800円は高いなあ!とは思っていた。
 この1800円の内訳とは以下のようなものでした。

①月に2回施設に訪問診療を行う
 =100円/回×2=200円/月
②24時間、施設のスタッフから入居者の具合について相談を受け る体制を取る
 =1000円/月
③スタッフに対して健康管理の指導を行う
 =大体600円
 (何を指導したのかこちらに教えてくれますか、と聞いたところ、その義務はないとのことでした。)

④検診の結果、治療や薬が必要になった時の医療費は全く含まれていません。

 ということは、施設に往診に来て、30人くらい健康診断するだけで1800円×30人=54000円の個人負担です。ということは一割負担ですので医者の売り上げは54万円!一回半日かかるとして。月二日=一日分相当の検診するだけで54万円の売り上げです。週五日働けば270万円の売り上げ。経費が半分としても100万円をゆうに超える手取り収入となります。
 介護スタッフはこの数分の1の給料で、もっと大変で責任の重い仕事をしています。

 この不合理は何なんでしょうね?この老人ホームを経営する社長とお話をする機会があり、介護事業についていろいろ教えてもらいました。老人ホームの必要経費は「家賃」「食費」「介護サービス費」からなりますが、「家賃」は土地建物のオーナーに、「食費」は委託業者に、ほぼそのまま支払う(むしろ赤字らしい)ので、スタッフの給料は「介護保険」からの収入だけに頼っています。この金額は介護保険の点数で、決まります。
 この先、高齢化が進み、人口が減るのですから、すでに介護保険の予算は苦しく、得られる収入はすこしづつ減らされる傾向にあるそうです。
 一方医者(あえて呼び捨てにしますが)の収入も医療保険制度の点数によって決められている。もちろんその原資は我々の税金です。

 富の配分は「制度」により決まるわけです。自由競争では決してありません。容易に想像できますが、我々の目に見えないところで、医師会は自分たちの利益だけは確保するための画策をしているのでしょう。だからこそ徳洲会は医療費をため込んで5000万も個人献金できるわけですね。

<トリクルダウン?はあ?>

 今アベノミクスでは「トリクルダウン効果」が期待できるということが言われています。これは大企業や富裕層の支援政策を行えば、徐々に富が低所得者層にむかって「流れ落ちる」という意味ですが、上記の例からもあり得ない理屈だとすぐわかりますね。「自由競争」ではなく「制度」によってせき止められているところに、自由な富の流れは存在するわけがない。
 そもそもトマ・ピケテイ21世紀の資本」(みすず書房によって、資本主義という制度自体の中に、富は富裕層に蓄積していくという仕組みが内在しているということが、実証的に述べられている。これを是正するのが政府の役割なのですが、医師会に支援されている政治家がそんなことを実行するわけがない。
 なので、冒頭で述べた当時のソビエト連邦の腐敗ぶりと、私たちの社会のあり方は、さほど差があるとは思えない。個人ではどうしようもない強固なシステムが作り上げられ、富の偏在、富のホットスポットを形成しているところは、まるで同じです。誰かが何とかしてこれをひっくり返さないとどうしようもありません。

ゴルバチョフはなぜペレストロイカを遂行できたのか?>

 とういうわけで、冒頭の疑問に戻ります。ゴルバチョフはなぜペレストロイカという社会の大変革を遂行するための態勢を作り上げることができたのでしょうか?

 要約した答えをすれば、「八方美人」と「日和見主義」によって成し遂げられた、というのが前述の著者であるゲイル・シーヒーの見解と言ってよいかと思います。なんだか肩すかしの答えですがどういう事でしょうか?
 でもある意味、そのような方法でしか条件は成立しなかったとも言えます。もちろんゴルバチョフの意志、能力、頭脳がなければ成し得なかったことは明白です。結果として世界の構造を変えたわけですから、尋常な功績ではない。ただ、それらだけでは十分条件とはなり得なかった。では彼はどう「立ち回った」のでしょうか?

 まずは、共産党の組織の中で出世するという事が彼の第一目標であった。そのためには、自分を推薦し、パトロンとなってくれる重要人物が必要であった。彼は昇進しながら、次々とそのような人物を見つけ出し、その人物に取り入ることを怠らなかった。
 その目的のためには、自分の考えをたやすく修正した。(「信念」をもっていては邪魔だっただろう。)例えば、停滞していた農業の生産性を上げるため、小集団に自主性を持たせ、収穫が増えると賃金も増えるというシステムを彼が考案し、成果を挙げつつあった。しかしそれが自分のパトロンの意向と異なるとわかれば、すぐに政策を180度転換し、農民を途方に暮れさせた。
 彼に対する信任の厚いアンドロポフ書記長の後任に選ばれる可能性が高くなると、反対しそうな要人におべっかを使うことも忘れなかった。
 こうしてゴルバチョフは晴れて書記長の座を射止め、誰にも取り入る必要のない身となった。その時点でも、「誰もが今より幸福になれる国をつくる」という漠然としたイメージしかもっていなかったらしい。
 ただ、経済がこのままでは持たないということは認識していたし、農民の苦しい生活は身をもって理解していた。そこで、前任のアンドロポフがすでにあいまいな形で提唱していた「ペレストロイカ」に具体性を持たせる必要は感じていた。そのためには、今まで共産党が築き上げてきた、閉塞的な体制が誤りであるという事実を知らしめるために、情報公開(グラスノチ)を進めた。
 ゴルバチョフはあくまで共産主義体制の枠の中で、少し風穴をあけて、ガスを抜きたかっただけだったようですが、国民の鬱積は予想をはるかに超えて蓄積されていたので、爆発的な国民運動を誘発し、ソビエト連邦は崩壊への道をつき進んでいったわけです。

 結局、世の中を変えることができるのは、一人の人間ではなく、
①:国民が、事実を知ることができる。
②:国民が、思ったことを表現できる。

 という二つの条件が整った時だということですね。

<自省することこそが必要ということ>

 逆に言えば、それまでの共産党は上記の二つの条件が成立しないように、国民をあきらめさせ、無関心にさせることに成功してきたわけです。
 これは、私達が自省すべき教訓でもありますね。上で一つの例を挙げましたが、私たちも、このような不合理を「仕方のないことだ」と受け入れてしまっていないかということです。上の二つの条件から遠ざかる方向に世の中が動いていませんか??

 グラスノチにより、国民運動が、動かし難い流れになっていた頃、ある15歳の娘が、お父さんをこう言って非難したそうです。

「『どうして私たちにほんとうの歴史を話してくれなかったの。こんなに長い間よく嘘をついてこれたわね。』父親は肩をすくめ、自己嫌悪で黙っていた。」