建築にまつわるエトセトラ

蛙(かわず)の見る空

リブ建築設計事務所 主宰山本一晃のブログです。

40回目 わかっているのになぜ?・・・

40回目 わかっているのになぜ?・・・
   -将来の過ちは回避できるかー

<広島の土砂災害から>

 H26年8月20日広島市安佐南区安佐北区などで豪雨による土砂災害が発生。死者74名。
 災害地の写真を見て驚いたというか、うなずいた。2_3

 「これは人災やでー。なんでこんなとこまで宅地にするんや??」

  山の谷筋というのは、雨水の浸食によってできた地形ですね。小学生でも知っています。ここに雨が降ればどうなるか?当たり前ですが、勾配の方向に流れます。谷筋には雨水が集まります。それが集まれば川になります。普段は川がなくても、どこか(表面であったり伏流水であったりする。)を流れていきます。そのうち一本の川にまとまりますが、地球上のどの場所に降った雨もどこかの川に流れ込みます。その範囲を川の流域といいます。
 山間部を横切る国道や高速道路の多くは、この雨水の流れに関係なく、谷筋を埋め、尾根を削って造られています。谷筋の雨水を遮ってしまうので、対策として排水するパイプは入っているそうですが、目詰まりしても目視できないし、メンテナンスもされてないので、排水が追い付かず、道路が崩壊する災害は日本中いたるところで発生しています。(たしか数年前NHKで特集してました。)
 広島の宅地も同じことです。宅地造成上無理があるのは、技術者なら誰でもわかる。(わからなければプロじゃない!)でも盛り土して埋めてしまえば、素人にとっては危険性は感じられません。元の地形は無かったことになってしまう。わかっているのに・・・
 「赤信号みんなで渡れば怖くない」式の発想で、「開発」の名のもとに造成が進めば、一人の専門家が危険性を指摘しても流れは止まらない。ということで、日本各地で同様の宅地造成が行われてきました。

<危険な宅地はいろんなところに存在する>

 だいたい古くからの集落は経験上、海沿いとか、川沿いの災害の恐れのある土地を避け、安定した地盤の上(多くは高台)に存在します。宅地を拡大する必要上、あるいは産業の必要上、擁壁・岸壁・護岸といった工作物を築造する技術により、都市は拡大してきました。ところがこれらの工作物は耐力構造ですので、想定した力にしか耐えれませんし、耐用年数が生じます。メンテナンスも必要になります。(36回目に詳しくお話ししました。)ただこうした「人工物」は目に見えるので、危険性も認識しやすいが、(例えば亀裂が入っている等)今回の場合はそうではないという所が、「たちの悪い」話ですね。
 「コンクリートのような耐力構造物ではないが、自然の力には逆らっている造成地盤」における災害は過去にも例があります。
 たとえば10年前の中越地震小千谷地区においては、斜面に盛Photo
土して造成した宅地が地すべりを起こしました。(写真参照)固い地盤の上に薄く土をかぶせれば振動で滑るのは道理です。わかってる人はわかってるはず。
 もっとたちが悪いのは、東北大震災において千葉県の浦安地区の埋立地で起きた液状化です。宅地を分譲したのは大手の不動産会社であり、当然対策もしていたが、このほど「長周期の振動が地盤に及ぼす影響は販売当時予想できなかった」として、住民の損害賠償請求はいまのところ棄却されています。ひどい話ですね。
 とにかく「自然に逆らった方法はしっぺ返しをくらう」というのが教訓です。高度成長時代においては、このような「慎重さの足りない罪」をいろいろ犯してきたわけですね。これは人口増加によって、やむを得ずやってしまった事かもしれないですが、これからは人口が減るのですから、これらをちゃんと反省して、もとに戻すべきことは戻していかないといけませんね。

 <森の保水能力の低下が進行している>

  土砂災害が発生すると、「今まで起こらなかった災害が起こるのは温暖化による気候変動のせいだ!」という論調をよく聞きますが、これはいたって根拠の希薄な話のようです。(詳しくは武田邦彦氏のブログや渡辺正教授の著作等々をお読みください。)
 問題にすべきなのは、森林の劣化の方です。日本の森林はその40%は人工林(ほとんどが針葉樹林)ですが、林業の衰退により多くの森林は間伐が行われずに放置され、劣化し、保水能力も低下しています。これが土砂災害の原因になることはいろんな人が指摘しています。
 不思議ですよね。もし仮に「温暖化CO2説」が正しくて、真剣に対応する必要があるならば、いの一番に、劣化した森林の再生に予算を使うべきだというのは自明な事。ところが同じ名目で「エコカー減税」や「家電エコポイント」等に膨大な予算を使うというのは「何をかいわんや」ですね。わかっているのに・・・

超高層マンションの解体方法は確立されていない!>

 建築関係者としていつも不可思議に思っているのは「超高層分譲マンション」です。二つ問題があります。
 一つは「超高層」という問題。建築足場は高さ45Mまでしか対応できませんので、解体する場合は特殊な工法が必要となります。「超高層建築物」が解体不可能と言ってるのではありません。負担できるコストで解体する方法が確立されていないということです。
 ですので「分譲」というのがもう一つの問題です。三井や住友といった大企業が保有しているならば問題はない。「個人」である居住者が保有していることがやっかいです。寿命がきて売れなくなったマンションの解体のために個人がどうやって膨大な解体コストを負担できるのか?それを賄えるだけの土地価格の上昇などはとても見込めない世の中なのに。超高層マンションの販売者は、購入者には決してこういう説明はしない。わかっているのに・・・・

わかっているのに・・・反省のできる社会へ>

 最初に挙げた「危険な宅地」の話は、住宅が慢性的に不足していた高度成長時代に成り行き上、ある意味やむを得ずやってしまった所業かもしれません。社会が未熟だったとしか言いようがないですが、過去を責めてばかりいても仕方がない。でも「森林の劣化」「超高層マンションは現在進行形の出来事です。人口が減少し、経済成長が頭打ちとなり、落ち着いて物を考える条件が整ってからの話です。「原発」「リニアモーター新幹線」「国家補助事業」等々この種の話は枚挙にいとまがありません。
 でも、戦争を始めた原因が日本社会の未熟さにあったことを思えば、少なくともこの社会は昭和初期からずっと未熟なままだったわけですね。なぜわかっている過ちを犯してしまうのだろう?先ほど「落ち着いて物を考える」と書きましたが、この場合「物を考える」主体は国民の集合としての国家なわけですね。国家として理性的な結論を出すための民主主義のが欠如している。このブログで何度も述べてきましたが、やはりそこに問題は帰ってしまう。
 11月3日朝、毎日新聞村上春樹のインタビューが掲載されました。上記のような流れのなかで、(ここでは「戦争」と「原発」が取り上げられていますが)日本の問題として「自己責任の回避」に言及されています。
 多分同じような趣旨で現在、武田邦彦「仮装社会」と名付けたブログを進行させています。ここで氏が面白い指摘をしています。

 日本人は面白い民族で「目的」にはあまり興味がなく「行為」が好きだというところがあります。<中略>自分たちで「理想的な社会と人生」を考えることはあまり好みません。「思考停止型で実行型」なのです。

 民主主義に関して言いますと、社会学者の小室直樹「悪の民主主義」(青春出版社のなかで、アメリ憲法に書かれている「自由」「平等」は実現されていないからこそ、これを追求する過程が「民主主義」の本質であるのに、日本人はこれらは与えられているものと勘違いしているという意味のことを述べておられます。

<東北大震災でも懲りないの?・・・>

 先ほどの村上氏のインタビューでは、「人は楽観的になろうとする姿勢をもたなければならない」と述べていますが、これは、現状を肯定すればよいという意味ではなくて「理想主義が実現できるという楽観性を持とう」という意味です。まさにその通りですね。ただそのためにはどこかで「既存システムの破壊」が必要という気がしますが・・・・。