建築にまつわるエトセトラ

蛙(かわず)の見る空

リブ建築設計事務所 主宰山本一晃のブログです。

22回目 そもそも私たちの目標は何だったのだろう

■H25年9月13日

22回目 そもそも私たちの目標は何だったのだろう
      ~とどのつまりは「里山資本主義」~

前2回は里山資本主義」についてお話しさせていただきましたが、最近この内容に関係して気になるニュースが2つありました。
ひとつは
9月8日「2020年東京オリンピック開催決定」のニュース
もうひとつは
9月11日「『幸せな国』番付、トップは欧州が独占 日本は43位」というニュースです。

<「東京オリンピック開催決定」の憂鬱>
 
オリンピックはいいんです。多分、緻密な計画ときめ細かな対応により、気持ちのよい大会が開催できると思います。7年後が楽しみです・・・・「7年後か~たいへんな時期やなあ・・・」と考えてしまいます。
 いろんな心配事が指摘されています。「震災復興にかえってマイナスになるのでは」とか「ロンドンオリンピックは赤字だった」とか。でも何より心配なのは
「オリンピック以降のことを考えているか?」という話です。
 例によって
藻谷浩介氏に登場していただきます。「デフレの正体」によれば(藻谷さんのよく言うようにこれは意見ではなく事実なのですが)2025年には団塊の世代が75歳を超え、75歳以上人口が今の五割増しくらいになり、あとは横ばいになりますが、これ以降も生産年齢人口(15~64歳)の減少は止まりません。この傾向はさらに続いていくと予想されており、もし(非現実的な話ですが)明日から少子化が劇的に改善されたとしても彼らが年齢に達する15年間は状況は変わりません。生産年齢人口=消費の活発な人口ですのでその減少分は内需が縮小し、高齢者に対する負担が増加するのでその間、日本は耐え忍ばないといけないという理屈です。
 オリンピック特需により一定の経済効果はあるでしょう。真面目な日本人のことなので、目標をもって頑張ることで、景気が上向き、「アベノミクス」が表面的には成功している、という状況が続くかもしれない。そうしてオリンピックが無事終わった時、先ほどの事態に直面します。
 今は成熟(非成長)社会にあわせて価値観を転換せねばならない時代の節目です。前2回に登場した識者たちはそれに気づいていて
、「中央集権的管理から分権的協調の時代へ」と主張します。 里山資本主義」はその理念を表す言葉として有効です。<私の予想していた望ましい日本の将来像>としては、アベノミクス」が「成長戦略」のところで破綻する→経済的にかなりひどいことになる→やっと多くの人も価値転換の必要性に気付いて、よい方向に向かえばよいな~と思ってたのですが・・。
 ところがこのオリンピックという、すごくインパクトのある「お祭り」に浮かれている間に本来必要な転換が先延ばしになるのでは?というのが一番心配です。
付け加えると、3.11の震災(特に原発事故)により、今まで覆い隠されていた事実が露頭し、「他人まかせ」「国まかせ」ではいけないと言う機運が芽生え始めていたはずなのですが、こういう動きもオリンピックという「国家事業」の影に再びしぼんでしまうかもしれない。
 ですので、オリンピックを準備する人達は、地に足をつけ
、「成熟社会」において、日本がどう生きていくかを踏まえながら、それにふさわしいオリンピックを準備していただきたいと願います。(私がとやかく言っても何の効果もないとは思いますが・・・・)

<世界一幸福なデンマーク人は世界一が嫌い!>
 9/11に発表された順位は以下の通りです。
 1.デンマーク
 2.ノルウェー
 3.スイス
 4.オランダ
 5.スウェーデン
 6.カナダ
 7.フィンランド
 8.オーストリア
 9.アイスランド
 10.オーストラリア
(評価指標については詳しくわかりませんが、不幸を感じる要因として「貧困」「失業」「家庭崩壊」「身体疾患」が挙げられている。)
 北欧の国々は幸福度の調査では常々上位を占めます。たとえばフィンランドは日本と同じく1980年代にバブル期を迎え、その後、大不況を経験していますが、現在はちゃんと軌道修正できている。デンマークはいろんな調査の「幸福度」で世界一です。なぜでしょう?これを探る記事をひとつ挙げます。
タイトルは「[北欧現地インタビュー:幸福感とモノ編]物質的なモノから幸福度を感じられる時代は終わったhttp://diamond.jp/articles/-/20200?page=2*このサイトの前後にも関連記事がいろいろあって面白いです)
読んでいただいたら、いろんな点でうなずいてしまいますが、ここには筆者の最後のコメントを引用しておきます。

<取材をしていてとくに感じたのは、やっぱりみなシンプルな生活を送っているということ。彼らは自分たちが今持っているモノや暮らしている社会の中で、どういうふうにしたら楽しく過ごせるのか、よく知っているのだと思います。>

もうひとつ同じシリーズで、デンマークに留学した日本人女性の体験記があります。デンマーク人は本当に幸せなのか?住んで初めてわかった『幸福感』の違いhttp://diamond.jp/articles/-/32485
 このルポは、現地の生活体験に基づくだけあって、なかなか深い!デンマーク人は「ほめられるのが好きでないそうです。」(ええっ!?)

<ある女性は、「最高という言葉は、勝者と敗者を作ってしまうので問題ではないかと思う」、と言います。驚くほど過敏に反応するので、授業が終わって別のデンマーク人に聞いてみると、「ベストという言葉は好きじゃない。ストレスだもの。十分という言葉が好き。最高にはなりたくない」と言うのです。> 

 今の日本人が聞くとずいぶん違和感がありますよね。でも妙に目標を高く持つことがストレスになることは確かです。そういえば昔の日本には「足るを知る」という良い言葉がありました。上の北欧現地インタビュー」の中にもありましたが「自分の生活をコントロールできていると言う意識が幸福につながる」といっている人もいます。私の言いたいことがわかっていただけるでしょうか?これを社会の仕組みで言うと「自分の手の届く範囲だけでもよい社会にしよう!」経済の仕組みで言うと「もうからなかったけど、世の中の役に立ったし、楽しかったからいいや!」ということに価値を見出せる態度かと思います。
 
 デンマークの幸福度が「高福祉国家」という制度をベースにしていることも確かです。所得税55%、消費税25%といいますから、ほとんど税金にもっていかれます。でもでもだからこそその税金をどう再配分するのが平等かを議論する必要性が高いために民主主義の質が高まりました。利用者による、参加型の制度、それをささえる分権化が既に達成されています。20回目で書きましたが宮台真司氏が「『参加と自治』を実現しなければならない。」と述べているのはこの国の制度を前提としています。市民参加により異なる考え方を徹底的に議論し、専門家によるインフォームドコンセントを進め、最後は事実の共通認識により専門家を除いた決定を行う、と言うのが原則のようです。(どこかの国の例えば原子力行政とはえらい違いですね!)結果デンマーク「民主主義の質が高い国ランキング」でも世界一です。日本にはこれが悲劇的に欠けていることは20回目に述べました。(ちなみに日本は25位)

<そもそも私たちの目標は何だったのだろう>
 
このフレーズは「藻谷浩介さん、経済成長がなければ僕たちは幸せになれないのでしょうか?(学芸出版社)」という長いタイトルの本の帯に書かれていた言葉です。「経済成長は目標ではなく、手段の一つ」→「では目標って何だったっけ?」とういう文脈です。
 里山資本主義」はそのひとつの回答です。それは先ほどの北欧の人々が「幸福」を感じる理由と共通点が多い
「身近に価値を見出せる社会」を再構成することが必要です。もちろんそこから飛び出してもっと大きな世界で価値を見出そうとする人も必要です。ポイントは、選べると言うこと。それが「包摂社会」に結びつきます。
 マネー資本主義においては例えば株を買って会社に投資するのは、配当により利益を得ようとする行為ですね。これはGDPに反映される「経済成長」です。一日お百姓さんの仕事を手伝っておいしい空気を味わい、御礼に野菜をもらって満足するのは経済成長にはカウントされませんが、先ほど得た利益と比べてどちらが価値がありますか?という問いかけです。
 またユニクロで買い物すると売り上げの一部は瀬戸内海オリーブ基金として寄付されますが、もし地元で使ったお金が、地元の自然の保護に使われるなら、そちらの方がいいですよね。自分の目に見えるし、地元の経済のためにもなります。そういう仕組みをつくるほうがひとりひとりにとって価値があるのではという考え方です。

GDPは全てを測ることができる・・人生の価値を高めるもの以外は・・>
(1968年 ロバート・ケネデイの演説より)

以前にも述べましたが私は特に「幸福」になりたいとは思いませんが「健康でいたい」とは思う。そのために必要なのは「栄養のある野菜」と「ストレスの無い社会」だと考えている。前者は自分で作れるのですが社会の方はそうは行かない。ストレスだらけです。どうも居場所がないなあといつも思っている。それは社会が悪いのか、はたまた本文のようなことを考えてしまう自分が悪いのか?多分ここまで根気良くつきあっていただいた方は社会の方が悪いと思っていただけるでしょうね。きっと!