建築にまつわるエトセトラ

蛙(かわず)の見る空

リブ建築設計事務所 主宰山本一晃のブログです。

51回目 「京都」考③

51回目 「京都」考③
      -これからのことー

<「京都」あるいは「日本」の不連続性>

Photo 昨年仕事で仙台へ行った際、松島を訪れた。日本三景のひとつ、風光明媚な海岸の風景に相対する沿道の街並みは、全く雑然としたものでした。案内していただいた土木コンサルタントの方も、「この町ができた頃には『景観』という概念がなかったんだろうね」、と話してました。
 ここが京都と違うのは、もともと継承すべき街並みが存在しなかったということですね。高度経済成長による観光客の増大によって、バラバラにたてられた建物群なのでしょう。何となく、ロードサイド店舗の様相を呈しています。これは、「自由放任するとこうなる」という例かなと思います。おそらく古くからある全国の観光地の多くは同じような状況なのでは。東洋文化研究者であるアレックス・カー第二次大戦時京都はその文化の重要性ゆえに空爆からはずされたのに、日本自ら文化を破壊してしまった。と語っています。

 この「不連続」はなぜ発生したのか?
 ひとつは、「建築手段や経済条件の変化による不連続」に原因を見出せます。地域の人々は昔から特に「景観」という意識はなく、当たり前のことをしていただけでしょう。いやむしろ1960年代には新たなビルデイングスタイルに新しい時代精神を感じていたかもしれない。私は1960年生まれですが、子供の時、近くに鉄筋コンクリートの建物が建つと、当時珍しかったこともあり、無条件に「かっこいいなー」と思っていました。「景観条例」のルーツは1968年に金沢市が制定した「伝統環境保存条例」とのことです。金沢市でもそうした状況だったのでしょう。問題は京都のように明らかに「文化」を尊重すべき場所において、人々の意識はどうだったのかという事ですね。

 そこでもうひとつの原因、「精神の不連続」に行き当たります。これについてはこの小文ではとても書ききれませんが、「第二次大戦後における価値観の不連続」です。戦争→敗戦→復興→高度経済成長→バブル経済とその終焉 の流れの中で、立ち止まって考えることができなかったのかもしれない。その過程において「足るを知る」から「経済中心主義による利益追求」へと価値観が変化したともいえます。
 ここでひとつ思い浮かぶのは、戦後復興の際、例えばワルシャワPhoto
といった、ヨーロッパの多くの都市が、がれきを再利用しながら、元の姿を根気強く復元するところから始めたという話。彼らは自分たちで積み上げた歴史を途絶えさせないためには、そうしないと心の空洞を埋められないと思ったのではないか。河合隼雄は日本人の精神構造は「中空構造」だと分析しました。これによる日本人の「相対性・曖昧性・空気主義」が、時代の変化に対してその場しのぎで対応してしまったのかもしれない。
 しかしこの過程によって、決定的に日本人は「心の拠り所」を失ってしまった。西洋の人々の心の拠り所はまず基本的に一つの神を中心にもつ宗教ですね。日本人はおそらく村落共同体の原理が一番の社会規範だったわけですが、高度経済成長のなかで、中間社会が崩壊し、この構造は空洞化しました。まだ成長が続いていた頃は、働いて稼ぐという行為が救いになりえたのですが、それさえバブルの崩壊とともに消え去った。結果として、個人はばらばらな価値観で漂流せざるを得ない世界になりました。(このあたりは21回目<包摂性のある社会>に詳しく記述しています。)このことが様々な物事の破たんの原因になりました。

<まずは中間社会の再構築>

 前回「京都考②」で提示した、「年暮る」の横からのアングルにおける現代の街並写真を見ると、個人のばらばらな価値観をそのまま表出しているように見えます。ただ都市において多様な価値観が存在することは決2して悪いことではない。むしろ「都市」に不可欠な要素です。実際、先に掲載したワルシャワの写真を見ても、京都の伝統的な街並み(写真参照)を見ても、ひとつひとつの建物には差異があってそれが魅力を引き出しています。
 問題は断絶を感じさせない「連続性」を持たせることができるかですね。その意味において、新しい時代の要請に対応してどういう連続性を持たせるかという意識を共有する必要があります。その意思決定をするために中間社会としての地域社会コミュニテイーの再構築が必要となるわけです。
 そもそも「景観」を保存すべきか、個人の自由度を高めることを優先するか、運命共同体として結論を出す必要があります。

<「景観」は誰のためのものなんでしょう?>

 結果として地域社会は、「景観」の規制に対して。「不要」という結論を出すかもしれない。それが妥当な場合もあり得ます。さてそれだけで問題は片付くか?「景観」は「環境」ととらえられますが、「環境」とはいかなる存在か?ということを考えないといけません。
 これについては、「環境を一つの生き物として認識する」必要があることを述べました。(45回目<環境倫理学から:ベアード・キャリコットの「全体論参照)環境は自然や街並みとそこで住み、活動する住民から成る。「環境」の振る舞い方については、あくまで住民がその生き物の立場に立って、判断する必要があるが、その存在は個人のスケールを空間的にも時間的にも超えている。そのため、その生き物が如何なる存在であるかを認識するためには専門家のサポートが必要である。同時に将来の選択肢としていかなる可能性があるかを分析・解説するのも専門家の役割である。それらをもとに住民が自ら決断しないといけないという考えです。
 「その生き物」を京都ととらえた場合、これはもう日本の文化・歴史を背負った話になります。これが前回お話しした、「『景観問題』は『個人の行動』と『社会性』のせめぎ合いの問題である。」という意味です。京都の住民は、その責を背負わないといけないのでしょうか?これに「YES」と答えるのがマイケル・サンデル等のコミュニタリアニズムの考え方といえます。個人の自由は社会の中に生きているという前提の中で語られるべきという思想ですね。逆に個人が利益を追求すればよいというかつての考え方(功利主義)で何が起こったかと言えば「公害」です。この内容については、マイケル・サンデル「これからの『正義』の話をしよう」をお読みいただいたら、納得してもらえるのではと思います。 

<「規制」ではなく「里山資本主義」>

 2007年に改正された京都の景観条例もある意味、社会性によって個人の行動を制限するという意味で、この考え方の延長線上にあると言えます。前回少し触れましたがこの規制は、個人の権利に影響を与える。その規制の妥当性をうんぬんする前に、共同体として納得して導かれた結果だろうかという事を問う必要があると思います。
 もし、京都という「生き物」の主体である住民が「参加」していたらどうなったか?その規制を受け入れることが理屈として納得できるものであるけれど、損害を伴うものであれば、それに対して交換条件を持ち出してくるでしょう。それが、例えば景観を守ることによって得られる観光収入を回す仕組みを考えるとか、京都固有の税制を考えるとかにつながるのではないか?そういうことを話し合って結論を出すところに意味がありますよね。

 「地域で物事を回す」これはこのブログで何度も繰り返してきた里山資本主義」の考え方です。「参加による包摂のある社会の創造」です。とにかくお役所に任せておけば「その場しのぎ」にしかならないのは分かっています。「景観」の担当者は「景観」のことにしか関心がない。(あっても、担当外の事には口を出さない。)また、規制によって住民が負う負担についても関心がない。(ごみの分別なんかもそうですね。)だから参加して意見を言うことが大事です。

 私は大阪南部の城下町の出身です。城の周辺の旧街道筋には景観規制がある。街道を歩いていて、格子窓があるので近づいてみたら、窓ではなく、とってつけた「飾り」だった!規制をいやいや守っていると、こんなことになります。全く本末転倒ですね。

 京都の出町柳近くに「ふたば」という和菓子屋さんがあります。名物が豆大福塩加減が絶妙でとても美味しい!学生自分は、ふらっと寄って買ったものですが、最近はいつ行っても長蛇の列。時間を惜しんで京都見物している身としては、いつもあきらめてしまいます。人を呼ぶ魅力があって商売繁盛なのは結構であり、活性化の原動力とはなるでしょうが、あまりのにぎわいを少し悔しく感じるのは、性格がひねくれてるでしょうか?・・・でも下賀茂神社前の「矢来餅」はすぐ買えるし、北野天満宮前の「粟餅」もおいしいですよ。!!