建築にまつわるエトセトラ

蛙(かわず)の見る空

リブ建築設計事務所 主宰山本一晃のブログです。

35回目 勝手に対決シリーズ 「武田邦彦編」

■H26年6月4

35回目 勝手に対決シリーズ 「武田邦彦編」

<まずはSTAP細胞問題から>

 4月1日、暇なので理研の最終報告の実況をみていた。(記者があまり同じような質問を繰り返すので、質疑の途中で見るのをやめたが・・)次の日、新聞(うちは毎日新聞です)の記事を見て目を疑った。昨日の会見と同じ出来事を記述しているとは思えなかった!
 理研は次の二点をねつ造・不正とした。(小保方さんの反論と同じで、なぜこういう言葉を使うのか私もわからなかったが・・)
 ①実験の「手法」についてコピー・ペーストしていた件:これは理研も論文の本論とは無関係と述べていた(理研は「手法」を「Method」という英語を使ってたが、記者は意味を理解できなかったのか?)
 ②STAP細胞を証明する画像を取り違えていた件:真正のデータが存在することは理研も認めていた。
→これがなぜか新聞記事では論文全体が「不正」「ねつ造」という記事になる。
→さらにいろんなメデイアではSTAP細胞の存在をねつ造したことになり、「STAP細胞が存在する証拠を出せ!」と騒ぎ立てている。

 全く訳がわかんない!この問題については武田邦彦氏のブログでも詳述されており、全く同感です。御参照ください。ここで言いたいのは武田氏が客観的で上手な説明をしているという事です。
 ひとつは、研究には「月明かり研究」と「真っ暗闇研究」があって、前者は先人が道筋をつけてくれてる後をたどる方法ですが、後者はそれが全くない場合であるというお話です。STAP細胞は「真っ暗闇研究」なのに「月明かり研究」しかしたことない人が例えば「仮説を論文にするのはおかしい」などと、いうのは本末転倒だと解説しています。わかりやすいですね。(http://takedanet.com/2014/04/post_0226.html

 もうひとつは、DNAの構造を予想した有名なワトソンとクリックの論文はネイチャー誌でわずか1ページと少ししかない論文で、しかも基にしたデータは他人の成果だという!でも科学のデータは「公知」であり、誰でも使う権利があるので盗用とは言わない。と解説しています。納得ですね。(http://takedanet.com/2014/04/post_d3fe.html

<次は「美味しんぼ」問題>

 もうひとつすっきりとする解説を紹介します。「美味しんぼの話です。「原発事故直後に鼻血が出たのは放射線が原因だ」との表現は「専門的に見てあり得ないので不適切」と非難された問題です。これに対する氏の見解には全く同感です。ここでのうまい説明:
 「確定的な関係」とは例えば火の中に手を入れれば誰でもやけどするという関係
 「確率的な関係」とは例えばインフルエンザが流行しても全員ではなく何パーセントかの人が感染するという現象
 「低線量被ばく」は「確率的な関係」であるから、今までのサンプル数が少なく統計が未確定の現象を、結論付けるのはおかしいという指摘をされています。明解ですね。実際、チェルノブイリ事故の時点では被ばくと甲状腺がんの関係は、根拠がないとされました。因果関係が実証されたのは、発症が終結した後の段階でした。 

<武田氏に反論しよう!>

 武田氏は客観的、科学的な理屈をもって、現象を見つめているので説明を聞くと「腑に落ちる」ことが多い。ただ問題によっては理屈が一つではない場合もあります。また物事を推論するための根拠となる事実が、ひとつでも知識として欠けていれば、結論が変わることもあります。例えば、今回の原発事故の政府や電力会社の対応ぶりという事実を見て、推進派から反対派に転じた人も多い。これなどはその最たる事例ですね。そういう意味で結論は一つではない場合もある。私が武田氏と違う見解をもってる事例もあります。
 今回は、武田氏に拍手するだけではなく、そういう反論をしてみたいと思います。そういう議論は氏も望むところのはずです。といってもこちらで勝手に対決するだけですが・・

<TPPと農業問題そして里山資本主義>

 TPPについての氏の言説は以下のようなものです。

①日本は輸出立国として、発展してきた。日本の自動車がアメリカに自由に輸出でき、(結果としてGMが経営危機となった)アメリカの農産物が日本に自由に輸出できないのは不公平である。
②農業は、改革が必要である。日本は平地の割合が少なすぎるので、山地をどんどん造成して平地化し、大規模農業に転換すべきである。日本は気候的に農業適地なのだから、それによって十分競争力がもてる。そうして競争すればよい。
③歴史から見て、戦争しないためには自由貿易は必要である。ただしTPPに賛成しして、利益を得るためには、安全保障を米軍に頼るという、独立国ではない日本の現状では、議論してもあまり意味がない。→このままでは受け入れざるを得ないが、本来、対米従属を脱してから議論するのが公平である。として最終判断は避けています。

 細かい意見の相違点もいくつかありますが、大きな考え方から議論します。そもそも国の将来像をどう描くかという問題です。
 対米依存型からの脱却の必要性については私は同感です。その上で武田氏はグローバル経済の中で競争力を持ちながら繁栄することをイメージしておられると感じます。これはあくまでマネー資本主義の世界の枠内の話ですから、「経済成長」を前提とした議論です。ということは「競争」のため「時は金なり」と考えることになります。
 私は20回目以降、そうではない考え方(=里山資本主義」)がこれからの理屈にならねばならぬと述べてきました。要は消費対象となるモノが飽和しつつあるという前提にたてば、全体のキャパシテイーの限界を想定しながら振る舞う必要がある。この視点を基礎に考えるかどうかが分かれ道です。付け加えれば、里山資本主義的観点に立てば、社会の包摂度を増すという、この国に一番欠落しているものを補えるということが、とっても大事です。
 実は武田氏も「幸福」のあり方については多く語っていて、「時は金なり」ではない考え方の持ち主です。このシリーズの中でも引用させていただきました。(21回目しつこく「里山資本主義」参照
 この前提に立てば、上記の武田氏の意見との相違が浮かび上がってきます。たとえば②における農業を立て直す手法ですが、「山地をどんどん平地化する」というのは必ずしも正解でないと考えます。日本が農業適地だというのはその通りです。なおかつ日本と米国の物価は少し米国の方が高いという条件で、農業における労働生産性に差がつくのはなぜか。ひとつは経営規模による効率が原因であることは確かです。ただもうひとつあまり報道されない事実があります。そもそも農業は単位面積当たりの土地が生み出す収益は他の産業にくらべて低いのは世界共通の原理です。そのため、農業を大事にする国は、直接支払制度」により、下駄をはかせて農業者を保護しています。あるいは「農業は作物を生産するのと同時に環境を維持する行為を行っていることでもある。」という「デカップリング」の立場に立って補助金を出している国もあります。(日本でも行われている。)医療制度は大事だから保険金と税金でお医者さんの給料を支払い、利用者の負担を軽減するというのと同じ考えです。
 大事なのは「地域」が生きる道を考えること。今の日本の農政予算は「間接支払」に重点があり、農地を造成する土建屋さんや、事業を実行するJAにまず、お金を回して、その効用が農業者に渡るという目論見なのですが、これが弊害となっている。これを「直接支払」に転換して地域の自主性にまかせることが必要。地域によれば「大規模造成」を選ぶし、そうではなくて斜面を生かした農業を選ぶところもある。そもそも今ある平地が十分活用されているかも地域によって様々ですからね。
 この方向性でいけば、「TPPには参加しないで成り立つ国をつくる」ことが大方針とすべきですね。「TPP参加」は対米従属の促進以外のなにものでもないのに・・・・
 細々した反論は簡単に提示しておきます。これは皆さんも「あれっ!そうだったの?」と思われるのでは?!

 ①「日本は輸出立国ではない」
  GDPに占める輸出の割合は最近で十数パーセント。高度成長期はもっと低かった。日本は内需の国です。なぜみんな「輸出立国」だと思い込んでるのだろう。たぶん輸出大企業を振興させるための政策でしょうね。
 ②「日本の農業生産は衰えていない」
 日本の農業従事者は1960年から2005年までに約1/6になりましたが、生産高は4,700万トン→5,000万トンに増えています。結果、統計のとりかたにもよりますが、日本は世界の5位から7位くらいで、ロシア、フランス、オーストラリアよりも上です。なぜ衰退産業と思われているのかは上と同じ理由でしょうね。
 ③「日本の物価は高くない」
 どうもおそらくバブルの頃のイメージで日本の物価は高いので人件費が高くつくという先入観があると思いますが、「ビッグマック指数」で見ると、日本よりスイスやスウエーデンは数割高い。ユーロ圏を平均しても日本より高い!!

 <マスコミって何なんでしょう?!>

 武田氏に全く同感なのはマスコミの程度の低さですね。最初に「STAP細胞問題」と「美味しんぼ問題」を挙げましたが、もうひとつ「遠隔ウイルス操作事件」を挙げときます。私が接したマスコミの報道は「片山被告にだまされていた佐藤弁護士がうなだれるの図」でした。実際の記者会見は全く違うイメージです。下記動画を参照ください。(http://www.youtube.com/watch?v=0ubAO_26KUE)佐藤弁護士は最後の4分間で「アナと雪の女王」の主題歌を取り上げ、片山被告に「もう嘘をつく必要はなくなったのだから『ありのまま』に生きてほしい」と呼びかけています。検察、弁護士共に「真実を追求」するために働いたということがわかる、気持ちの良い会見でした。それをなぜ素直に『ありのまま』に伝えることができないのでしょう?人を馬鹿にしてるのか?それとも記者が馬鹿なのか?

Does it let go?・・・・(あきらめるしかない?)