建築にまつわるエトセトラ

蛙(かわず)の見る空

リブ建築設計事務所 主宰山本一晃のブログです。

56回目 ポスト真実の生まれるところ

56回目 ポスト真実の生まれるところ
     -道理か?あるいは現実主義か?ー

<お役人はなぜ議事録をちゃんと書けないの?>

 森友学園問題」「自衛隊スーダンPKO日誌紛失問題」「豊洲市場問題」。今巷をにぎわす話題に共通するのは「役人の記録が出てこない」という事実ですね。
 「都合の悪い(かもしれない)ことはとりあえず隠す。」ことにより自分の責任を回避しておくというのが大きな目的でしょうが、こういったことが慣例化することにより失うものはとても大きい。

 その①:「記録がいつかは公開される」という前提で仕事をするということは、今取り組んでいる仕事において、筋の通った結論を導かねばならないということにつながるはずだが、そうはならない。これが日本のお役人の状況。(アメリカでは文書は原則いつか公開されます。)

  その②:逆に常に筋の通った結論を導く役人にとっては、記録を残すことが疑いを抱かれない証明になるはずなのに、そうしないということは、お役人は筋の通した考え方をしないということなのでは?

 「記録を残す」ということは、「後の検証ために」というだけではなく「今正当な判断を行うために」という意味もあるわけですね。だから「記録を残さない」ことが慣例化することにより同時に役人の「筋を通して考える」という脳の回路を劣化させている!!

<「豊洲市場問題」はなぜ迷走するのか?>

 お役人はその地位にふさわしい学歴を有しているはず。なのになぜ道理を通した結論が導けないのでしょう?
 おそらくひとりひとりは、能力があるのです。でも組織やグループになると、おかしくなるのですね。豊洲の土壌汚染問題」なんかは、筋道がたてやすい話なので、例として取り上げてみましょう。

 まず筋道の話。

 東京都では専門家会議を組織して土壌汚染のついて検討し、4.5Mの盛り土が必要と結論づけた。少し調べてみると、この数字もPhoto御都合主義が含まれているようですが、とりあえずこの基準が、筋道を通して決められたという前提で話を進めます。であれば、この基準は以下の条件を読み込んで決められた「はず」です。

①その基準は、地下の土壌汚染が地表に及ぼす影響を、一定以下に抑制するための基準のはずである。
②そのため、まずは「一定以下」を判断するための「閾(しきい)値」決める。例えば「1万人に一人が健康を害する程度」といった具合。それ以下であれば「安全」と定義する。
③地下の毒物の濃度・分布を調査することにより、どんな土のがどの厚みであれば、地表が「閾値」以下におさまるかを専門知識により決定した。

本来は見込むべきだったのにどうも見込まれていない条件をあとふたつ挙げます。

④上記の意味で「安全」な状態は非常時にも保たれる基準とする。
 *どうも4.5Mというのは地震時の液状化対策には不足らしい
⑤同じ「安全性」を確保するために、「アスファルト」や「コンクリート」の場合の必要な厚みも算出する。

 早い話が①から⑤の条件が、技術的に確かな根拠をもとに決められていれば、あとは何の問題もなかったはず。これが頭に入っていれば、「築地はアスファルトで覆われているから安全で、豊洲はコンクリートだから安全でない」と知事が言っていましたが、これには厚みの数字を入れないと意味がないということがわかりますし、「地下水を飲み水に使うわけではないので問題はない。」という意見がナンセンスであることもわかります。
 「盛り土」してないことが問題ではなくて「盛り土」以外の基準が定められていないがために、こんな無駄な時間と費用が費やされている。そもそも4.5Mが何を根拠に決められているのか、ちゃんと記録して、役人の頭に入っていれば建物を建てる際にも正しい判断ができたはずですね。その判断をまたちゃんと記録しておけば今なにも問題になっていません。

<「ポスト真実」という名の利権>

 現実としてどうなっているか。小池知事は「そのうち『総合的に』判断する」とおっしゃっておられます。「技術的に判断する」とは言わない。専門家の「意見」を聞き、その他の関係者の利害を考慮して「政治的に裁量して」判断します、という意味ですね。その結果として自分の存在意義や権限を高められることになるわけ。技術的に判断すれば、自動的に結論が出るはずのですが、それでは利権にならないということなのでしょうね。
 というわけで、役人は議事録を「書けない」のではなくて、やはり「書かない」のでしょう。そうして筋道をはずした判断が許容されてしまう。残念ながら、マスコミや市民がそれを許してしまっている。
 そこにポスト真実が芽を出す土壌が生まれます。

 ポスト真実は2016年にアメリカの大統領選挙やイギリスのEU離脱に関する国民投票運動などから生まれた言葉ですが、そんなの日本には昔からあったじゃん!
 原発の「安全神話」もそうですし、原発がらみで言えばオリンピック招致のプレゼンテーションで安倍首相が「汚染水による影響は福島第一原発の港湾内で完全にブロックされている。」と語ったとき、私は唖然としましたが、翌日「嘘をついてオリンピック招致」と書いたマスコミは私の知る限りありませんでした。

<「その場しのぎ」か「道理を通す」か>

 二つの方向性がある。「その場しのぎであっても今が良ければよい。」という考え方と「今は苦労するかもしれないが、ものごとは道理に従って組み立てなければあとできっと困る」という考え方。

 前者を「現実主義」、後者を「理性主義」と名付けるとします。この二者の対比が鮮明になったのが、2015年の憲法解釈の変更による集団的自衛権の行使を可能とする法案審議の際。磯崎首相補佐官は「憲法の法的安定性は関係ない。」と言って現実に対応することが優先する、と述べ、ひんしゅくを買った。しかし法案は数の力で成立した。日本は完全に「現実主義」の世の中です。莫大な国債を発行するのも、年金基金で株を購入するのも、他国は倫理上問題があるとして、自制していることがこの国では大手を振ってまかり通る。

  だからポスト真実については日本の方が先進国ではと思う。トランプ大統領に対してCNN等のマスコミは鋭く対立していますが、日本では政府の恫喝が効を奏し、忖度が広くいきわたってしまいました。さてアメリカのマスコミは今後どうなっていくのでしょうか?

<基礎があってはじめて高層建築が可能となる>

 いわゆる「リベラル」と呼ばれる市民を代表する人たちは「理性主義」の立場だと思いますが、一般にはなかなか広まらない。例えば前回の衆議院議員選挙で小林節の声はかき消されてしまった。
 リベラルの代表であるべき民進党は、「市民」より「労働組合」の組織票の方を向いたりして全く腰砕け。いったい「その場しのぎ」ではなく、百年後のこの国を見据えて道理の通った判断をしてくれるのは誰なのでしょう??

 そもそもいまだ「民主主義」が機能していないという実情を認識せずにこの国は民主主義だと皆が思っているところから、基礎ができていないのです。
 民主主義を成り立たせる3要件は
①透明性②参加③説明責任(アカウンタビリテイー)だという。今はどのひとつも不完全ですよね。
 でもこれらの要件が成り立って初めて国家権力を信頼できるわけです。これは反面教師として独裁国家の事を考えてみればよく理解できます。
 さらに言えばその民主主義のあり方を保証するのが、主権者としての国民が国家権力に「これだけのことは守ること」と義務付けている憲法ですね。これが近代国民国家の基礎の基礎です。
 にもかかわらず、「そうじゃない憲法観もありうる」と公言する政党が国家権力を握っているのですから、基礎がゆらいでいるわけです。その上に不安定な増築を重ねているのが今のこの国の現状であるのだろうと思います。 
 
教育勅語より民主主義教育>

 にもかかわらず、4月9日に発表された内閣府「社会意識に関する世論調査では社会に満足しているという回答が過去最高だったという。
 うーんどうなってるんや~これがポピュリズムということだろうか?あるいは井の中の蛙なのか?社会学者さんに解説して欲しいところです。おそらく「満足」と答えた人たちは「沖縄の人たちの苦しみの不合理」「福島のお百姓さんたちが除染されていない山で働かざるを得ない現実」のことは知らないのでしょう!

 ちなみに3月20日に発表された「世界幸福度ランキング」では日本2017は世界51位でとても低い。(右図参照)
 もちろん何を指標にランキングするかで、順位は大きく異なり、これとは異なる傾向のランキングもあります。
 この調査については、グラフの左から
()1人当たりGDP
()社会的支援
(黄緑)健康寿命
()人生選択の自由度
()寛容さ
()汚職の認知
(水色)その他の影響

 社会制度に関する項目が多いですね。そういうわけで上位を占めているのは北欧の福祉国家です。

 でもなぜノルウェーデンマークは格差を回避し、平等性を重視する社会制度をつくることができたのか?

 別に「民主主義の成熟度ランキング」というのもいろいろあるのですが、こちらはどのランキングでも北欧諸国が上位を占めます。これは<22回目 そもそも私たちの目標はなんだったのだろう>で詳しく述べましたが、これらの国々では、経済・社会活動に関する決定に人々が民主的に参加する仕組みが整っているので、その結果としてストレスの低い社会ができているようです。先ほどの民主主義の3要件の実現のための努力がなされてきた結果でもあるわけですね。

 先日官房長官、「教育勅語を容認するような発言をされていましたが、もうわけがわかりません。それよりも何よりも、子供たちに必要なのは、「人に迎合するのではなく、自分で物事の筋道をたてて考え、正しいことを主張できる能力を磨くこと」ですよね。そうでないと民主主義の基礎はいつになっても固まりません。

(「一身独立して一国独立す!」実は福沢諭吉がとっくの昔に言ってたことなんだけど・・・・)

 
 

 

 

 

 

 

55回目 「すいか」大好き!②

55回目 「すいか」大好き!②
     -「すいか」にまつわるエトセトラー

「すいか」の視聴率について>

 このドラマは向田邦子賞を始め、多くの賞を獲得している。反面、視聴率は振るわなかった。(平均視聴率8.9%)実際、奥さんや、知人と話題にしても、誰も知らなかった。ここはどういう事なのでしょうか?
 私も建築デザインを仕事としているのでわかりますが、自分の好みとはかかわりなく、「完成度が高い」「スキルが高い」作品であるというのはプロとしてわかります。「賞」というのは「好み」で与えられるものではないですから、その質の高さは証明されたと考えてよいと思います。それではなぜ多くの人の「好み」とならなかったのか?
 脚本家の木皿泉はその後「野ぶた。をプロデュース(以下「野ぶた」)で高視聴率(平均視聴率16.9%)を得る。これは「すいか」の低視聴率を反省してテレビ局側が、旬の俳優を起用した結果だとも言われている。
 反面、ドラマの放送から10年以上経た今でも、「すいか」の熱烈なファンが多数いるという。人によって深くはまってしまうということですね。ここに視聴率が振るわなかった訳が垣間見えると思います。

 「すいか」のテーマは前回お話したように、「自分の存在意義を問いかけること」です。「小林」は、34歳になって、結婚もせずに、平凡なOLを続けている自分から逃げたくて、もがいています。「ともさか」は、双子の姉妹の死を引きずりながら、売れないエロ漫画家から脱皮できない自分に悩んでいます。「小林」とは対照的に、踏み外した道から戻れないという思いを持っている。同じように日々自分と向き合っている人達にとっては、深く共感できるストーリーです。
 でも世の中を見ていると、そうでない人の方が多いというのはよく感じる。自分はこんな悩みを持っているんだという話をしても「そんなこと悩んでもしかたがないじゃん。」という反応が返ってくることは多い。私はそういう人たちは正直うらやましいなと思います。
 そもそもそんな私でさえ、40歳を過ぎるまでは、悩みはあっても深く気にはしていなかった。自分と向き合うという事は、例えば自分を鏡に映しだして、醜いところを直視するようなものですから、むしろそのような行為は避けてたような気がします。テレビを見るならそんな現実を意識させられるよりも、楽しい時間を過ごせる番組の方を好むのでしょうね。だから若者にとってはとっつきにくかったかもしれませんね。

<「木皿泉」の脚本について>

 木皿泉氏はその後の作品である、「野ぶた」では、上記のことを意識しているように思います。まず、若者のストーリーであるということ。実際氏は「十代の人のために、真剣に、わかりやすく、媚びずに」という態度で創作したと語っています。
 さらに、前回「御都合主義」のところで述べましたが、結構突飛な演出により「軽い」表現がされている。こうして「娯楽性」を高めたことも視聴率に結びついたのでしょうね。
 いささか、突飛すぎる出来事も起こるのですが、これはむしろ「すいか」を見た人の方がわかりやすかったりします。「ああ、すいかのあの場面を極端にしたんだな!」みたいな。
 これも氏自ら語っているのですが、氏にとって「すいか」は原点のようなもので「何があっても、あそこに戻れば大丈夫」という存在だそうです。

 「野ぶた」について付け加えると、「すいか」と異なるのは、登場人Nobutawoproduce物の印象が最初と最後で変化するところです。主人公の信子がいじめを乗り越えながら強くなっていくのはメインのストーリーですが、彰君などは、最初「うざい」奴だと思っていると、けっこう純粋な性格で応援したくなってくる。学校の担任の先生も「無気力な教師やなあ」という最初の印象が、結構、夢をもって教師をやっていることがわかってきたりする。

 氏の人物の描き方は、善人と悪人に分けてしまうのではなく、「人それぞれ事情があるんだ。それに流されてしまう弱い心を持ってるんだ」という思想ですね。ですので氏の脚本に完全な悪人は登場しません。「野ぶた」で信子に対して隠れて陰湿ないじめを繰り返していた女子生徒でさえ、そのうち馬脚を現して、あっさり罪を認めてしまう。面と向かっていじめを行っていた女子生徒も弱みをさらけ出して、逆に信子に説教されてしまう。

 こうして多様な人格が共存する道を探る。これは昨今、「絆」とか「一丸となって」といった言葉の裏で「多様な個性」が自由に発揮しにくい風潮に対するアンチテーゼであるのかもしれません。

<「ハピネス三茶」という包摂空間>

 「すいか」の舞台である「ハピネス三茶」はまさにこのような多様なPhoto_2個性を許容する器です。「こんな自分がいていいのでしょうか?」と嘆く「小林」に対して「浅丘」は、「いてよし!いろんなひとがいていいのよ」と心を開く。こうして「小林」も「ハピネス三茶」の一員となっていく。
 思えば、「ハピネス三茶」のメンバーは皆家族に問題を持っていたり、欠損家族であったりする。いわば疑似家族を構成しているわけですが、ここで不動の「母」の役割をしているのが「浅丘」ですね。家をとびだしたままの「ともさか」に対して「浅丘」は「ずっとここに居ればよい」といってなぐさめる。こうしてそれぞれ「自分の存在意義を見出す」ためには「一人でない事」が大切だということを実感していく。
 「小林」と全く逆の立場にあるのが、一人で逃避行中の「小泉」である。「小林」の生活を垣間見ながら、「小林」をうらやましく思い、「三億円盗んでも何もいいことはなかった」と心境を語る。

 余談ですが、シナリオ本「すいか2」(河出文庫には、「オマケ」として10年後の「ハピネス三茶」が描かれています。ここでは逆に「小林」が「浅丘」に「いてよし」という場面があります。十年後に皆がどうなっているかも含めて、お読みください。

<ライバルは1964年>

 最近ACジャパンの広告のナレーションがとてもいいと思う。「テレビCM]ではなく「ラジオCM」のほう。テレビのほうは「負けるな!」という命令口調でイマイチなのですが、ラジオの方はとても素直に聞ける。最後に「日本を考えよう」とあるが、ほんとに考えてほしいと思う。そうでないと今の日本は本当に生きにくい。「すいか」はこのことに対するひとつの回答だと思います。

(ナレーション:星野源さん)

おじいちゃんは、言っていた。
お金はそんなになかったけど、
笑顔はそこらじゅうにあった。
世界とはつながっていなかったけど、
近所の人とはつながっていた。

きっと、いまでもできるよね。

ライバルは、1964年。

2020年に向け、日本をかんがえよう

 

 

54回目 「すいか」大好き!①

54回目 「すいか」大好き!①
     -テレビドラマの話なんですけどー

「すいか」に出会った~!> 

 最近見たいTV番組がほとんどありません。くどくど言うと、うざいのPhoto_4で深堀りはしませんが、見ていて無垢な表現が見られない。不純な動機や不自然な誇張が目について仕方がない。今いつでも受け入れられるのは、「ローカル路線バス乗り継ぎの旅くらいかな?NHKのニュースなんて10分以上見てられない!深堀しないんだっけ!きりがなくなるのでこの辺でやめときます。

 いきおい、昔の二時間ドラマや映画なんかは安心できるので、よく見ます。ある日、「レンタネコ」という映画をやっていた。市川実日子さんという女優さんの演技が面白かった。そこでYOUTUBEで検索!(YOUTUBEは見たい物を選べるのでとても具合がよい。)まずマザーウォーターという映画を見た。共演の小林聡美さん、もたいまさこさん、小泉今日子さんとの組み合わせがとてもよい雰囲気を醸し出していた。この時点でおすすめ動画に「すいか」というドラマが表示されていた。

「すいか」に釘付け!>

 そもそもTVでドラマをオンタイムで見るという習慣はないので、TV 
ドラマに関心はなかった。まあためしに見てみるか~という感じで再生してみた。最初の5分で釘付けになった!!

 とにかくまず脚本が面白い。そのストーリーを表現する役者さん、Suika
登場人物のキャラクター、背景、音楽が面白い。この面白さをどう表現したらわかってもらえるでしょうか?落ち着いて整理してお話ししようと思います。

 まずはざっくり概要を。説明的なことは最小限にいたしますので検索してお調べください。登場人物の紹介はイラストレーターの亀石みゆきさんという方のブログのイラストがムチャクチャ楽しいので御紹介します。<http://fimpen.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/index.html参照>
 小林聡美演じる早川基子(以下「小林」)と、ともさかりえ演じる亀山絆(以下「ともさか」)の二人は、それぞれの事情をかかえて、「変えたくても変えられない自分」に悩みながら生きている。彼女らの迷いに対して道しるべを示唆する役割なのが、浅丘ルリ子演じる教授(以下「浅丘」)です。市川実日子演じる芝本ゆか(以下「市川」)はこの二人とは対極的な立場にあり、その若々しい感性によって、日々起こる出来事に素直に反応する。「市川」の感想を書きしるす日記が物語の語り手となって進行してゆく。

<面白さその①ー「つかみ」ー>

  私の体験の中で物語冒頭の「つかみ」の傑作として思い出すのPhoto
うる星やつらの初回です。地球侵略をたくらむ鬼族は、地球代表が鬼族代表に「鬼ごっこ」で勝てば、侵略をやめてやるという。なぜか高校生の諸星あたるが地球の命運をかけてラムちゃんと対戦する。
 赤毛のアンも導入部は印象的ですね。冒頭の面白さにひかれて物語にのめり込んでいくことになります。
 「すいか」の場合は、「小林」が「浅丘」や「ともさか」の下宿する「ハピネス三茶」に住むことになる過程がとても面白い。「小林」の同僚である、小泉今日子演じる「馬場ちゃん」(以下「小泉」)は、会社から三億円を横領して逃げまわっているのだが、「小泉」はハピネス三茶の面々と、様々な形で出会う。その事実を皆が共有するところとなり、「小林」は一挙に打ち解けていくことになる。
 例えば「浅丘」は、朝あわてて、「ハピネス三茶」と名前の入ったスリッパをはいて出て行ってしまうのだが、電車で座る「浅丘」の前に右と左で別々の靴をはいて出てきてしまった「小泉」が立っていて、お互いの履物を見て顔を合わせる。思わず笑っちゃう場面ですね。

 登場人物のキャラクターも「つかみ」にとって重要です。「うる星やつら」にも「たつねこ」とか「錯乱坊」とかいった、奇想天外なキャラクターが登場しますが、それを思い起こすようなユニークさ。上の亀石みゆきさんのイラストを見ていただくとわかりますが、「泥舟のママ」は「もう帰ってちょうだい」というのが、ただ一回の例外を除いて唯一のセリフですし、「馬場ちゃんを追う刑事」は刑事らしくない哲学的なセリフを話しながら、いつも「小泉」に逃げられる。

 ここまでの説明では、これは「ドタバタ喜劇か?」と思いますが、これらは物語のテーマを演出するために周到に用意されたパーツなのです。

<面白さその②ー物語のテーマー>

全体に流れるテーマは「自分の壁を打ち破れるか?」とでも言えばよいでしょうか?自分の存在意義を問いかけることだと言ってもよいと思います。時々発せられるセリフに「私はここに居ていいのでしょうか?」というのがあります。
 この基調旋律となるテーマに、一回一回の物語のサブテーマが重ねあわされる。例えば「今まで思ってもなかった事をやってみる。」とか「死んだ人との再会(これはお盆のサブテーマでした)」とか。
 この重奏したテーマがそれぞれの人物で同時並行的に進行する。こういうのを「群像劇」というのでしょうか。はじめはしっちゃかめっちゃかに発散しそうなストーリーは、様々な出来事を経て、折り合いがついたり、他人から助言を受けたりしながら収束してゆく。
 そのまとめとなる内容は、「頑張れば夢はかなう。」といった、ある意味楽観的で能天気な話ではありません。言ってみれば「自分とどう向き合えばよいか」という「悟り」「方向性の暗示」のようなものです。そう。この物語は深く、重い。どちらかと言えば私のような中高年のための話です。ドタバタ喜劇のような舞台設定は、これを少しでも軽く受け止められるようにする意図かもしれません。

<面白さその③ー御都合主義?ー>

 悪役に塀際まで追い詰められ、全体絶命!そこに運よく正義の味方が現れ、一件落着。こういうのを「御都合主義」と呼びます。
 「御都合主義」が必ずしも悪いわけではない。水戸黄門のラストが好きな人は多いし、フーテンの寅さんとマドンナの偶然の出なければストーリーは始まらない。でもこれが過剰になるとしらけてしまいますよね。その境界線はとても微妙です。
 「すいか」においても、偶然や非日常的な出来事や、時には超常現象(幽霊も登場します。)が出現します。これが結果的に、ドラマの質を高めている。これは、このドラマの主眼が、ストーリーではなく、テーマにあるからでしょう!様々な演出はテーマを描くための手段であるわけですね。刑事もののような「ストーリー展開」が主眼であるドラマで、不自然な作為的展開があればしらけますが、そうではないわけです。でも場合によっては、これはギリギリだな思う箇所もありますが、このドラマでは、うさん臭さは感じない。
 「すいか」の脚本は木皿泉によります。氏については、後で詳しくお話ししますが、氏のこの後の作品である「野ぶた。をプロデュース」や「昨夜のカレー、明日のパン」では、けっこうこの境界線を越えていて、現実のドラマというよりもファンタジーと言うべき作品となっている。その分、より「軽い」表現となっていますが、それはそれなりに意図があるのでしょうね。

<面白さその④ー映像でしか成立しない表現ー>

  このドラマの中では時折、瞬間的にイメージ映像が挿入される。例えばそれは、ストーリーの展開を暗示するものであったりする。またある場合は、ハピネス三茶の内部の場面がフラッシュ映像のように切り替えられ、その中には、少し先の展開でキーポイントになるアイテムが映されていたりする。
 これを小説の形式で表現すると「○○氏の頭には××の風景が思い浮かんだ。」となるのでしょうが、これでは説明的になってしまいます。映像であれば、説明なしに暗示的に表現できる。
 こういうのは映像でしか成立しない表現ですね。原作のドラマ化ではない、オリジナル脚本だからできる表現なのかもしれません。
 ほかにもビジュアル的に、見ているだけでも楽しい要素満載です。Photo_3
そもそも舞台となっているハピネス三茶はレトロな雰囲気でとても絵になる。「ともさか」や「市川」のファッションも楽しい。とりわけ料理を丁寧に表現していますね。視覚的な表現だけでなく、「料理をつくる」というプロセスが大事だというのは脚本家の意思かもしれませんね。

 「御都合主義」のところでもお話ししましたが、これは「テーマ」を表現するための手段であればこそ、生きてくる演出であり、そうでなけれ単なる趣味の世界になってしまう。多くの要素が連動してひとつの作品を作り上げていることが感じられます。

 次回はさらにしつこく見方を変えて、木皿泉という脚本家についてとか、ハピネス三茶の魅力とか、「すいか」にまつわるエトセトラについてお話ししたいと思います。

<つづく>

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

53回目 「前提条件」を疑え!

53回目 「前提条件」を疑え!
      ー循環論だけでは語れないー  
   

<「危険性の少ない」ところで地震が起こる!>

Pdf_3 上の図は2010年(東北大震災の前)における、その後30年に震度6以上の地震が発生する確率の分布を示した図です。いわゆる地震ハザードマップといわれる図ですね。防災科学技術研究所の資料ですが、こういう資料を基に自治体は、対策を立案します。
 図でおわかりのように、2011年に東北大震災が起きた地域や、先日の熊本地震の地域は、確率の低い地域でしたし、阪神大震災もそうでした。
 東京大学教授のロバート・ゲラー氏はこれはそもそも間違った理論による予想であり、地震予知は今の段階では不可能だと断言します。何が間違っKatudannsou_pdf
てるか というと、地震は、各々その際の個別の条件に基づいて発生するのであり、以前発生した場所で周期的に発生すると「だけ」考えることが誤りだとのことです
 その下の図は、確率分布図に、活断層(赤色が主要な活断層でその他は黒で示されている)を重ね合わせた図です。「内陸型の地震活断層が原因とされているので、分布は重なっています。これは、断層を調査すると過去数十万年にわたって何度もずれた痕跡がみられる。従って将来も地震が発生する可能性が高いという理由によります。問題はその理屈「だけ」が正しいかということです。
 素人考えでもわかるのは、
①亀裂の入った岩盤に力を加えると必ず亀裂の場所で割れる。
②割れた岩盤の両側から力をかけると必ず割れた部分が変位する。
→これらは活断層地震が発生する理由になりますね。
 でも
③割れていない岩盤が壊れるまで力を加えると、割れている岩盤が壊れるより衝撃が大きい。
→こういう力が加わると、断層のない場所でもおおきな地震が発生する可能性がありますね。
④割れていない岩盤で、厚みが同じ場合面積が大きいほうが、小さい力で割れる。
→ということは、断層の間隔が短ければ、丈夫な地盤かもしれない。(細長くなりすぎると弱くなるでしょうけど)

 「プレート間地震の場合、発生のメカニズムは異なります。二つのプレートの片方がもう片方に沈み込んでいて、上に乗っかっているプレートが押されることでひずみがたまり、耐え切れなくなると先端が跳ね上がるというのが定説ですが、これなら周期的に繰り返し起こると考えられそうです。でもこれは、跳ね上がる部分がゴムのように「縮む」→「跳ね上がる」を繰り返すという「前提条件」の下で成り立つ話であり、もし壊れて引っ掛かりがなくなれば、次にどこでどうなるかは、わからなくなります。状況が変化するわけですね。

以上は、以前起こったことが繰り返し起こるとだけ考えるのは間違えてるかもしれないというお話です。

<見落とされる循環もある>

 逆に「目先の変化に気をとられると、大きな循環を見落とす」場合もある。Microsoft_word_140_pdf
 右上図は、マスコミでよく見るグラフです。過去140年の日本の気温変化を示しています。通常平均気温が上昇している=温暖化が進行しているという説明に使われます。
 私が小学生の頃(1970年頃)子供用の学習雑誌に、「世界の気温は下 がる傾向にあり、もうすぐ氷河期となる」と書かれていて、怖くなった記憶があります。青字は、私が書き込んだの401_3ですが、「1970年以降」を隠してみてみると、1940年~1970年にかけて、低下
傾向が見られます。その時点では、そのまま下がって いくと見ることもできますね。
 その下はずっと範囲を広げて地球の過去40万年の気温変化を示すグラフです。上の話は、右端の「A部」のごくわずかな部分を見ているだけで、全然意味のない議論だったことが解ります
 グラフをみればわかりますが、地球の気温はほぼ10万年で周期的に変化しており、今は温暖な時期にあることがわかります。
 あとこのグラフを見てわかるのは、①地球の歴史において今が最も温暖なわけではない。(誤った記述をよく見かけます。)②そのうち寒冷化に転じることが予想される。(これは本当に恐ろしい!)
 地震の周期説以上に10万年毎の気温の周期変化はメカニズムが解明されていない。従ってこちらも前提条件が漸次変化していく現象かもしれないので一概にはいえません。また地球の数十億年の変化が観測されれば、さらに異なる傾向が読み取れるかもしれないということですね。

<「わからない」ということがわからないと!>

これらは、「目先の変化にとらわれるな」という事なのですが、これらの見誤りは「正確な仕組みが解明されていない」ことに起因しています。
 例えば、「万有引力の法則により地球は太陽の周りをまわっている」ということが解明されるまでは、明日本当に太陽は東の空から上るのか、ということは経験的にしか語れなかったわけです。「いつもそうだから明日もそうなる」というレベルの判断なわけですね。言ってみれば、「地震予想は人間が万有引力の法則を知らなかった段階の知見からあまり違わない。」ということを正確に把握しておく必要があるという事です。

<経済成長に対する前提条件をどう設定するか?>

 私たちは、ある事実を前提にやるべきことを判断しています。「前提条件が変化している」ということを見落としていたり、思い込みによって、不確かな前提条件であるという事を忘れていることもある。そうすると、全く判断をを間違えていることもあり得ます。
 このことを痛感するのが「経済成長」というもののとらえ方だと思う。景気は循環するという説があり、その根拠として「在庫の循環」や「設備投資の循環」という学説があるようです。それらはそれなりに道理があるのでしょうが、今のように人口が減って必然的に全体が縮小しているということはそれらの説の根拠となる「前提条件の変化」を意味します。
 これは以前この場でお話ししたことがあるのですが、経済が成長する余地のある条件の下では、利益を再投資することで拡大再生産が可能になる。(これが「資本主義」の起源だというのがマックスウェーバーの説です。)ところが、全体が縮小しつつあるという「前提条件」のもとでは、ある集団が利益を得すぎるとその他の部分で縮小が増幅されるのが算数の結果なので、再分配することが行動原理として一番必要になりますね。

 今の政策は、この前提条件には立っていない。、「金融・財政政策によって経済を刺激すれば景気は回復し、かつてのような経済成長が可能になる」と考えている。この前提条件が誤りであるとすれば、これまで何兆円を無駄に刷ったことになるのでしょう!!これによって発生した借金についてはいったい誰が責任を取るのでしょう??気が遠くなりませんか?

<お金の話はよくわからない・・・>

 先ほど「政府がお金を刷る」という表現を使いましたが、実際的には日銀がパソコンに金額を入力するだけらしい。お金の話は本当によくわかりません。銀行がA社に100万円貸し出せば、銀行もA社も100万円の権利を持つことになるので、利息を返せるという条件さえ満たせれば、100万円が200万円の効果をもつことになるそうな。
 このへんをわかりやすく解説して欲しいと思われた方は「武田邦彦『現代のコペルニクス』#90 日本の重大問題(2)国の借金   
https://www.youtube.com/watch?v=6lDbR2VWoPw」をご覧ください。

 

 

 




 

 

 

 

52回目 「そうは言っても・・・」とは言うな!

52回目「そうは言っても・・・」とは言うな!
     ーいわゆる「日本教」についてー

<落ちるところまで落ちないと気付かない??>

  H28年3月17日、TBSラジオ荒川強啓デイキャッチ」中で、評論家の山田五郎が「ボイス」のコーナーで語ったお話。
 「日本はすでにアジアNo1の経済大国ではない。実質レベルではアジアの中位というのが正当な評価であるが、自分たちは相変わらずNo1だと思っている。家電など不採算の事業は外国に売っちゃって、新しい芽を育てる時期なのに全く意識が変わらない。これはもう落ちるところまで落ちないと気付かないのではないか?」

 同じような内容を3月22日、寺島実郎「月刊寺島文庫通信」で語っている。
 「東北大震災から5年。それ以前から、東北の過疎化は問題になっていた。震災をきっかけに、これからどうやって『食っていくか』を行政も住民も考えないといけないのは震災前からわかっていた。実際震災直後には、経済成長一点張りの路線に対する疑問を投げかける議論がさかんだったが、いつの間にか消えてしまい、転換するチャンスを失ってしまった。」
 「こうして相変わらず社会全体の意識は変わらない。本質的な議論はいつのまにか打ち消される。なにで飯を食うかという産業論に向き合わずに、マネーゲームで経済が立てなおせるという誘惑に負け、結果として国民の可処分所得は一向に上向かない。」

<「そうは言っても」といえばどうなるか?>

 脚本家の倉本聰「そうは言っても」という言葉は様々な悪弊を生むという。何となくわかります。例えば

 「原子力発電は使用済み燃料も問題が解決されていない。なおかつ事故は起こりうるし、ひとたび事故が起きれば、予期できない影響を及ぼす。」故に→「原発は速やかにやめるべきである」
 この論理は「事実」から導かれた理屈です。後半は福島で実証されました。しかしこの道理は受け入れられない。
 「そうは言っても「電気代が高くなったら困るし、(これは事実ではない)電力の安定供給のために必要である。(実はウランより化石燃料の方が安定供給可能な資源です。)なにより温暖化を引き起こしてはいけない。(詳しく説明しませんがこれが一番怪しい)」という何となく単に「ご都合」に合わせた話が通ってしまう。先ほどの道理が反証されたわけではなく、これには触れずに話をすりかえてしまう。もうひとつあげましょう。

 「沖縄には日本の米軍基地の74%が集中する。これは不公平である」というのは自明な理屈ですが一向に改善されない。
 「そうは言っても「沖縄の米軍は抑止力のために重要である。(「抑止力」とは何の定義もない抽象的な用語です。)特に最近増大する中国の脅威に対抗するために必要不可欠である。(中国が戦争を仕掛けてくることは現実にはあり得ない。)」

 「そうは言っても」という前置きでもっともらしく聞こえる言い訳がなされ、本質が抜き去られ、今すべき事が忘れ去られます。これは日本の国に綿々と伝わる宗教のようなもので、山本七平日本教と呼んでいます。

日本教とはどんなものか?>

 山本七平小室直樹の共著に日本教の構造」という本がありますが、小室直樹氏が日本教と題した番組(https://www.youtube.com/watch?v=xEyEUAvbUbo)の中で日本教のエッセンスを解説していますので、列記します。

①社会においては「日本人の都合」がなによりも優先される。その過程で物事の本質は抜き去られる。
 例えば仏教を取り入れながら、その教義の本質は忘れ去られ、「戒律無き仏教」に加工された。

②「何物も信じていない」従って「行動規範は作りえない」
 これは今に至るも「憲法」が政治の規範となっていないことか  らもよくわかりますね。

③「決定」は「おぜんたて」によってのみなされる。そこを支配するのは「空気」である。
 なにをかいわんやですね。

福沢諭吉明治維新

 福沢諭吉はもちろん日本教という言葉を使ったわけではないですが、日本を一流国とするためには、日本の文化の底にあるアジア的な奴隷根性を排して、ヨーロッパ並みの人権感覚を身に着ける必要があるということを認識していた。
 そのためには西洋でキリスト教の果たしている行動規範としての役割を天皇神道)に求めた。
 当時一般国民にとって天皇とは「そういう人がいるらしい」という程度の存在であったらしい。幸運にも(?)日清・日露戦争に勝利する過程で天皇は神格化されていったそうです。「神国日本」の思想ですね。
 一流国を目指していた日本は、日露の戦争において、5年前のハーグ平和会議で決められた戦争に関する国際条約を完全に遵守し、国際的な信用を高めることにもなった。恥ずかしくない国になるためには規範意識は高くあるべきという意識があったわけです。

<敗戦へ>

 それでも日本教は、生き続ける。第二次大戦を始める頃には「道理」ではなく「空気」が支配していた。その戦い方においても「合理」ではなく「精神」が優先された。
 「敗戦」の結果、天皇は、規範ではなくなった。その後は経済復興が唯一の目標となったわけですが、バブル崩壊以後、その拠り所もなくなった日本には何もなくなってしまった。

 以上が小室直樹の見解です。

<そして今>

 今も変わらず無意識に日本教の崇拝が続いていることが、冒頭のコメントに結びつく。そのままではまずいということを解決しようとはせずにそうは言っても」論理で、その場しのぎを続けている状況なわけですね。同様の指摘をしている有識者は数多くおられます。しかし彼らが声を上げるほど、それらを排除しようとする空気が生まれるのが日本教なわけですね。

<民主主義について>

 ですので「仏教」の場合と同じく国民主権」「民主主義」「自由・平等」「立憲主義という概念についても、本質が抜けたまま自分たちの都合の良い解釈がなされたまま、理解したものと思い込んでいる。実はこれらは「不断に追及し続けないと実行できない理想」(丸山真男氏による)であるのに。
 苦労してこれらの権利を獲得した歴史を持つ欧米の国々では、それを身をもって理解している。
 アメリカの大統領選がこんな長期間をかけて行われるのも一例ですね。これは単なるお祭り騒ぎではなく、国民が民主主義を理解するための必要な儀式のようなものです。
 また、北欧の国では、小学生に議論をさせて「遊び場にどんな遊具を置くか?」を決めるといった教育がおこなわれているそうな。小さい頃から「民主的に決定する方法」を身に着けるわけです。高校生までは、国民としてのこうした規範を教えることが、教育の第一義だという話を聞いたこともあります。そう考えると日本の教育がとっても貧相に思えますね。
 でも国民が「民主主義」の意味を理解しない方が「支配者側」にとっては都合がよい!日本が「民主主義」というより「官僚支配主義」であるのは、明治維新における「上からの民主主義化」において、行き場のなかった武士たちを官僚として採用したことに起因するそうです。市民にものを決めさせないという体制が連綿と続いているわけですね。「おぜんたて」による意思決定が隅々まで浸透しているわけです。
 
 <若者たちの芽がつまれないように・・>

 今、ある自治体における開発計画の構想にかかわっています。 構想は自治体の上位計画に整合する必要があるので、調べたところ、市政の大方針はおおむね10年ごとの「総合計画」で決定されており、今はその改訂作業中であるとのこと。
 そのプロセスは、まず市民アンケートが行われ、その後分野に応じた分科会に市民が参画した「市民会議」が行われ、それを専門家を交えた会議である「総合計画審議会」を経て、一年半程度かけて策定作業が行われるというもの。  
 これを見ていると、市民の声を聞きながら、慎重に議論を重ねて、ち密な論理を組み立てているように見えます。さて実情は如何に?
 想像に難くないですが、隣の自治体で、同様の会議に参加した人に聞いたところ、やはり「おぜんたて」を追認する形で物事が決まっていくだけとのこと。それが証拠にでき上がった「総合計画」には医療・福祉等、各分野にわたって当たり障りのない目標が示されているだけです。「日本教は綿々と生き続けているわけです。

 「シールズ」奥田氏は1992年生まれの23才、バブル崩壊以後に生まれた世代ですね。政府の方針に対する疑問を表明して運動に高めるためには、勇気と実行力が必要だったと思います。ただネットを見る限り様々な批判にもさらされている。周りの御都合主義によって、声がかき消されるように願うばかりです。

 「国民の声が届く」という言い方ありますが、これは、国家権力は「お上」だと認めてしまってるような表現ですね。これは「立憲主義」「国民主権」の概念とは全く一致しないものです。「集団的自衛権」の議論を通じてこの矛盾に気づいた人たちの道理が通るためにはどうしたらよいか?その立場にいる人はまじめに考えてほしいですね。
 
 

 

 

 

 

51回目 「京都」考③

51回目 「京都」考③
      -これからのことー

<「京都」あるいは「日本」の不連続性>

Photo 昨年仕事で仙台へ行った際、松島を訪れた。日本三景のひとつ、風光明媚な海岸の風景に相対する沿道の街並みは、全く雑然としたものでした。案内していただいた土木コンサルタントの方も、「この町ができた頃には『景観』という概念がなかったんだろうね」、と話してました。
 ここが京都と違うのは、もともと継承すべき街並みが存在しなかったということですね。高度経済成長による観光客の増大によって、バラバラにたてられた建物群なのでしょう。何となく、ロードサイド店舗の様相を呈しています。これは、「自由放任するとこうなる」という例かなと思います。おそらく古くからある全国の観光地の多くは同じような状況なのでは。東洋文化研究者であるアレックス・カー第二次大戦時京都はその文化の重要性ゆえに空爆からはずされたのに、日本自ら文化を破壊してしまった。と語っています。

 この「不連続」はなぜ発生したのか?
 ひとつは、「建築手段や経済条件の変化による不連続」に原因を見出せます。地域の人々は昔から特に「景観」という意識はなく、当たり前のことをしていただけでしょう。いやむしろ1960年代には新たなビルデイングスタイルに新しい時代精神を感じていたかもしれない。私は1960年生まれですが、子供の時、近くに鉄筋コンクリートの建物が建つと、当時珍しかったこともあり、無条件に「かっこいいなー」と思っていました。「景観条例」のルーツは1968年に金沢市が制定した「伝統環境保存条例」とのことです。金沢市でもそうした状況だったのでしょう。問題は京都のように明らかに「文化」を尊重すべき場所において、人々の意識はどうだったのかという事ですね。

 そこでもうひとつの原因、「精神の不連続」に行き当たります。これについてはこの小文ではとても書ききれませんが、「第二次大戦後における価値観の不連続」です。戦争→敗戦→復興→高度経済成長→バブル経済とその終焉 の流れの中で、立ち止まって考えることができなかったのかもしれない。その過程において「足るを知る」から「経済中心主義による利益追求」へと価値観が変化したともいえます。
 ここでひとつ思い浮かぶのは、戦後復興の際、例えばワルシャワPhoto
といった、ヨーロッパの多くの都市が、がれきを再利用しながら、元の姿を根気強く復元するところから始めたという話。彼らは自分たちで積み上げた歴史を途絶えさせないためには、そうしないと心の空洞を埋められないと思ったのではないか。河合隼雄は日本人の精神構造は「中空構造」だと分析しました。これによる日本人の「相対性・曖昧性・空気主義」が、時代の変化に対してその場しのぎで対応してしまったのかもしれない。
 しかしこの過程によって、決定的に日本人は「心の拠り所」を失ってしまった。西洋の人々の心の拠り所はまず基本的に一つの神を中心にもつ宗教ですね。日本人はおそらく村落共同体の原理が一番の社会規範だったわけですが、高度経済成長のなかで、中間社会が崩壊し、この構造は空洞化しました。まだ成長が続いていた頃は、働いて稼ぐという行為が救いになりえたのですが、それさえバブルの崩壊とともに消え去った。結果として、個人はばらばらな価値観で漂流せざるを得ない世界になりました。(このあたりは21回目<包摂性のある社会>に詳しく記述しています。)このことが様々な物事の破たんの原因になりました。

<まずは中間社会の再構築>

 前回「京都考②」で提示した、「年暮る」の横からのアングルにおける現代の街並写真を見ると、個人のばらばらな価値観をそのまま表出しているように見えます。ただ都市において多様な価値観が存在することは決2して悪いことではない。むしろ「都市」に不可欠な要素です。実際、先に掲載したワルシャワの写真を見ても、京都の伝統的な街並み(写真参照)を見ても、ひとつひとつの建物には差異があってそれが魅力を引き出しています。
 問題は断絶を感じさせない「連続性」を持たせることができるかですね。その意味において、新しい時代の要請に対応してどういう連続性を持たせるかという意識を共有する必要があります。その意思決定をするために中間社会としての地域社会コミュニテイーの再構築が必要となるわけです。
 そもそも「景観」を保存すべきか、個人の自由度を高めることを優先するか、運命共同体として結論を出す必要があります。

<「景観」は誰のためのものなんでしょう?>

 結果として地域社会は、「景観」の規制に対して。「不要」という結論を出すかもしれない。それが妥当な場合もあり得ます。さてそれだけで問題は片付くか?「景観」は「環境」ととらえられますが、「環境」とはいかなる存在か?ということを考えないといけません。
 これについては、「環境を一つの生き物として認識する」必要があることを述べました。(45回目<環境倫理学から:ベアード・キャリコットの「全体論参照)環境は自然や街並みとそこで住み、活動する住民から成る。「環境」の振る舞い方については、あくまで住民がその生き物の立場に立って、判断する必要があるが、その存在は個人のスケールを空間的にも時間的にも超えている。そのため、その生き物が如何なる存在であるかを認識するためには専門家のサポートが必要である。同時に将来の選択肢としていかなる可能性があるかを分析・解説するのも専門家の役割である。それらをもとに住民が自ら決断しないといけないという考えです。
 「その生き物」を京都ととらえた場合、これはもう日本の文化・歴史を背負った話になります。これが前回お話しした、「『景観問題』は『個人の行動』と『社会性』のせめぎ合いの問題である。」という意味です。京都の住民は、その責を背負わないといけないのでしょうか?これに「YES」と答えるのがマイケル・サンデル等のコミュニタリアニズムの考え方といえます。個人の自由は社会の中に生きているという前提の中で語られるべきという思想ですね。逆に個人が利益を追求すればよいというかつての考え方(功利主義)で何が起こったかと言えば「公害」です。この内容については、マイケル・サンデル「これからの『正義』の話をしよう」をお読みいただいたら、納得してもらえるのではと思います。 

<「規制」ではなく「里山資本主義」>

 2007年に改正された京都の景観条例もある意味、社会性によって個人の行動を制限するという意味で、この考え方の延長線上にあると言えます。前回少し触れましたがこの規制は、個人の権利に影響を与える。その規制の妥当性をうんぬんする前に、共同体として納得して導かれた結果だろうかという事を問う必要があると思います。
 もし、京都という「生き物」の主体である住民が「参加」していたらどうなったか?その規制を受け入れることが理屈として納得できるものであるけれど、損害を伴うものであれば、それに対して交換条件を持ち出してくるでしょう。それが、例えば景観を守ることによって得られる観光収入を回す仕組みを考えるとか、京都固有の税制を考えるとかにつながるのではないか?そういうことを話し合って結論を出すところに意味がありますよね。

 「地域で物事を回す」これはこのブログで何度も繰り返してきた里山資本主義」の考え方です。「参加による包摂のある社会の創造」です。とにかくお役所に任せておけば「その場しのぎ」にしかならないのは分かっています。「景観」の担当者は「景観」のことにしか関心がない。(あっても、担当外の事には口を出さない。)また、規制によって住民が負う負担についても関心がない。(ごみの分別なんかもそうですね。)だから参加して意見を言うことが大事です。

 私は大阪南部の城下町の出身です。城の周辺の旧街道筋には景観規制がある。街道を歩いていて、格子窓があるので近づいてみたら、窓ではなく、とってつけた「飾り」だった!規制をいやいや守っていると、こんなことになります。全く本末転倒ですね。

 京都の出町柳近くに「ふたば」という和菓子屋さんがあります。名物が豆大福塩加減が絶妙でとても美味しい!学生自分は、ふらっと寄って買ったものですが、最近はいつ行っても長蛇の列。時間を惜しんで京都見物している身としては、いつもあきらめてしまいます。人を呼ぶ魅力があって商売繁盛なのは結構であり、活性化の原動力とはなるでしょうが、あまりのにぎわいを少し悔しく感じるのは、性格がひねくれてるでしょうか?・・・でも下賀茂神社前の「矢来餅」はすぐ買えるし、北野天満宮前の「粟餅」もおいしいですよ。!!

 

 

50回目 「京都」考②

50回目 「京都」考②
     -京都の街並 今と昔ー

円通寺の借景> 
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 最初の写真は円通寺の庭です。遠くの比叡山を庭と一体の風景とした、「借景」の手法による庭。私はこの庭を見ながらぼおっと何時間か過ごすのがお気に入りです。
 奥にある生垣と比叡山の間には、市街地があるのですが、注意深く隠されています。このあたりは、京都にとっては郊外の住宅地にあたる地域であり、マンション計画もあったそうです。京都市眺望景観創生条例」により、高さ等の制限が設けられたことにより、この風景が守られたという経緯があります。ここの住職は時々話しかけてくるのですが、「何とか条例が間に合ってよかった!」と感慨深げに語っておられました。ぎりぎり危機が回避されたようです。
 ただこれは、マンションを建てようとしていた地主にとっては、販売による利益が少なくなる(あるいは計画が成立しなくなる)という結果をもたらしたはず。法律により権利が制限されたわけですね。その人にとっては、得してるのは観光客と寺だけだ!ということになる。ですから「景観を守る」と一言で言っても皆が賛成できる話ではない。これがこの問題の難しいところです。
 現実に、中心市街地にあった、老舗の「俵屋」旅館が、近くにマンションが建つことで眺望が阻害されるということで、問題になったことがありますが、マンション建設を阻止することはできていない。(何らかの調停があったようですが。)

東山魁夷「年暮る」から考える>
Photo

 右の絵は東山魁夷作「年暮る」です。全く「素」のままの京都という感じですね。発表されたのは1968年、高度経済成長はもう始まってますので、街並みが壊れかけていたのでしょう。川端康成が「京都は、今描いていただかないと、なくなります。京都のあるうちに、描いておいてください」と進言してできた作品だそうです。おそらく一番「素」の部分が残っている場所を選んで描かれたのでしょう。
Photo_12 これはホテルオークラから東をみたアングルで描かれていますが、今の風景を同じアングルから写真撮影した方がおられますので引用させていただきます。とっても貴重な記録ですね!(http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/e13edff4ce9a241c24e4407f04c976a1参照)
 上記のブログでも書かれていますが、この写真を見る限り、全くの「街並みの破壊」と見えます。奥に見えるお寺(要法寺)だけが変わってなくて、目印になりますね。このお寺以外は雑然とした街並みに変わってしまった・・・・
 もう少し詳しく分析してみましょう。これを航空写真で見ると、少し印象が変わります。 
1_3 まず1961年。この辺りは町屋が広範囲に連続していた地域であることがよくわかります。道路の配置もよくわかります。町屋は道路に対しては屋根の軒の方を向けています。(これは「平入り」といいます。この地域は南北に生活道Photo
路が配置されているので、絵のアングルでは、軒を向けた屋根が多く見え、統一感のある構図になっています。道路からどんどん街区の奥に入っていくと、方向の違った屋根もあります。これらの屋根の間に「中庭」が設けられ、通風・採光を確保するのが、京町屋の仕組みとなっています。(写真参照)
 これに対して、2015年の航空写真。2_4
あたりまえですが、道路形態はほとんど変わっていません。上から見ると骨格は変わらないのに、横から見ると、ずいぶん変わっちゃったというのがわかります。ここのところがポイントですね。
  ちょっと考えてみてください。「年暮る」は切り取られた風景として、情緒あふれる絵となっていますが、この風景が、べたっと京都全体に広がっていることを想像すれば、ちょっと単調で殺風景ですね。ある意味、今の風景は、様々な人間の活動が表出して活性化した結果だともいえる。ただやはり横から見ると、なんか他に方法がなかったのか?と思いますよね。

<ではどういう方法があったんだろう?>

 1960年代からの約50年の間になにが起こったか。横から見た写真を比べればよくわかります。

①人口増により、高層化が必要になりました。地価が上昇して高度利用が(経済的に)要求されました。
②上記と同時に、建物の不燃化が要求されました。従って建物のスタイル、質感が変化しました。この地域(準防火地域)で言えば、三階建て以上で耐火性能が要求されます。
モータリゼーションにより駐車スペースが必要になりました。その分、スペースが必要になり、土地利用はさらに制約されました。
④新たな機能を有する建築が必要になった。例えばマンションとかショッピングセンターとか、コンサートホールとかですね。

 私は建築設計が専門なので、「年暮る」の「素」の状態をベースにして、「景観」を保全しながら上記の設計条件を満たす方法はいくつか思いつきます。まずは道路際は軒の高さを変えないで、奥に行くに従って、高さを上げていけば、視覚的には一番良いですね。そういうことは、建築デザインの訓練を受けていれば、誰でも考えます。私が考えなくても、すでに提案されているのをお見せします。 
Photo 右の図は「町屋型集合住宅(巽和夫+町屋型集合住宅研究会)」の資料から引用しています。(若干加工しています)これは「元の景観の流れを受け継ぎながら、時代の要請に応じて機能を変化させていく方法」です。こうして街並みの連続性を確保するわけですが、この場合は、アナロジカル(類推性)の連続性」と言います。
 別の方法としては、町屋はある地域を限定して「そのま まの形態で保存するPhotoという方法」もあります。橿原の今井町ではそのような手法がとられています。(写真参照)これは、機能をそのまま維持するという意味で「ホモジニアス(同質性)の連続性」と言います。
  さらに上記④の解決方法としては、異質であるが、十分吟味された建築を注意深く挿入するという方法」もあります。写真に示すのは、パリのポンピドーセンターの例です。この建物はできた当初 2_6は物議をかもしたそうですが、今ではすっかりパリッ子の間で定着しているようです。これはヘテロジニアス(異質性)の連続性」と呼ぶことが可能です。
 要は、既存景観との「連続性」をどういう方法で継承するかを決断すればそれなりの方法はあるわけです。問題は、なぜ連続性が途切れてしまったか?連続性を維持することが可能であったか?将来可能であるか?ということですね。

<では何が現実か?>

 現実的には、古い町並みはどんどん失われていっています。今何が問題だったかということを整理します。

①「京都」の地域とは関係なく、普遍的な「経済性」「効率性」が適用されてきた。
②さらに上記の手法が、「個別的」に適用されざるをえなかった。結果として「雑然」とした街並みが形成された。

 京都では2007年に景観条例が改正され、全国でも最も厳格な規制が成立しました。遅きに失したという人もいます。さてこの「規制」で景観が守れるでしょうか?
 例えば、地域によっては市街地で「軒を出を60cm以上、けらば(妻側の屋根)の出を30cm以上」という規制がありますが、これは、中心市街地では妻側の外壁が隣地側でほぼ接していますから、建物の幅を60cm小さくしなさい、と言っている内容です。これは間口が平均3間(狭いものでは2間、1間は約1.8M)で奥行きの大きい京都の町屋では、建替えは非常に不利な条件を飲むということを意味します。
 「景観問題」は建築デザインンの問題ではなく「個人の行動」と「社会性」のせめぎ合いの問題なわけです。あれ、そういう分野についてはこのブログでは何度も話題にしてきました。同じ文脈で活路が見出せるのではないでしょうか?というのが次回の話題であります。

 11月22日(連休の中日)に京都へ紅葉を見に出かけた。これは昨年に引き続き、我が家の恒例行事となりつつあります。実は今年の紅葉は気温と雨の関係でここ10年で最悪だったそうで、残念ではありました。それよりもなによりも昨年と大きく異なったのは、観光客の数が爆発的に増えたという事。駐車場もお寺もレストランも、長蛇の列を我慢しない限り利用不能。オーバーフロー状態でした。
 観光業というのは、売り上げが増えても必要経費がさほど増えない産業ですから、絶対もうかってるはず!この利益を、「観光」「景観」という名のもとに我慢を強いられている住民に還元しないのはおかしいですね。この辺りが問題解決のポイントではないか???