建築にまつわるエトセトラ

蛙(かわず)の見る空

リブ建築設計事務所 主宰山本一晃のブログです。

15回目<山本農園便り>その①

■H25年6月13日

15回目<山本農園便り>その①

<竹肥料で地元農業を救おう!・・なんちゃって>

 年前、「訳」あって野菜作りを始めた。この「訳」は実に深い「訳」であって話し始めると、きりが無いのですが、なるべく簡単にまとめます。

 地元で農業振興と街づくりを同時に行うという開発計画(「岸和田市丘陵地区開発計画」と言います。)があり、私の実家の畑も含まれてる関係で、町の委員として、会議に出ています。(この会議の顛末を話し始めるときりがないのです。)私としては、この地区(岸和田市の山間部であり、市街化調整区域です)の将来のためには、農業を中心にストーリーを組み立てるのが一番よいと考えています。全国で「農」による意欲的な地域づくりがなされていますが、この地区では何を生かしてどういう構想が成り立つだろう・・と考えながら、農業についてははっきりいってシロウトなのでいろんな文献を漁っていた矢先。
 「現代農業」という雑誌に
「竹をパウダーにして発酵させた肥料はすごく効果がある」という特集が組まれていました。でこ、これや!!」と思ったわけ。

 この地区は私が子供の頃は
みかんが主力産業でした。あと竹の子もよく取れ、この二つで農家はなんとか食えていました。私の実家もそのひとつです。秋には家族総出でみかんの収穫をしました。それでも手が足りなくて、日曜日には親戚の人達にも手伝ってもらい、お昼にはみんなで弁当を食べました。これは私の人生の中で最も楽しかった思い出のひとつです。道ではみかんの容器を山盛りに積んだ軽トラックがひっきりなしに行き来していました。
 雲行きが怪しくなってきたのは1970年の「減反政策」からだと思います。みかんと竹の子が主力産業とはいえ、全国どこでもそうだと思いますが、ほとんどの農家は米も作っていました。というか、耕せるところは水田にして、残った斜面はみかん山か竹やぶというのが土地利用の方法でした。(みかんは斜面の方が水はけがよいので適している)ところが減反政策により、米をみかんに転作することが奨励され、みんなが従った結果、みかんの生産量が飛躍的に増えて値段が暴落しました。この頃、私の祖父は農業の先行きは暗いので、私には農業をつがせるな!と父に語ったそうです。多分とどめを刺したのは1988年の「アメリカ産オレンジの輸入自由化」だと思います。結果、今では近所でみかんで生計をたてている農家はありません。私の家の様に農業を継がなかった家のみかん畑は放棄地となり、繁殖力の強い竹やぶがどんどん広がりました。今ではうちの実家から山の方を見ると山の80%は竹やぶ(ほとんどは手入れされていないと思う)という状態です。


 というような背景がありまして、
<竹を切って肥料をつくる(ということは竹やぶの手入れにもなる)>→<「竹の肥料で作った有機野菜」ってイメージええやん。>→<出来た野菜を消費した残渣は竹を発酵させるときの促進剤に使える→これってエコロジカルな循環農業じゃん!>→<竹やぶを手入れする事でとれた竹の子を加工して売る=農業の六次産業化による収入アップ!>
 なんて美しい構想!これで地元は救われる!!これはやって見るしかない!!!
と使命感に燃えて、野菜作りを始めたわけです。

 まずは竹をパウダーに加工する機械を作る
Photo_2が第一関門。これは機械に強い従兄弟が解決してくれました。(右写真参照) 「現代農業」に載っていた手製の機械の写真を見ながら、近所の大工さんからもらった使い古しの電動のこぎりの刃を数枚抱合せ、ホームセンターで買ったモーターに組み込みました。これで写真の様に竹を削っていきます。

 

 こうして出来た竹パウダーを発酵させ湯に溶Photo_3かすと写真のように水に沈みます。(Ⓐは発酵させてない生の竹パウダーなので浮かんでいます)というわけで「竹肥料の完成」!。
 ここまでも実はいろいろ経緯があって、竹パウダーだけでは炭素成分が多すぎて、土に入れた時に腐朽菌が土中の窒素を消費し過ぎる「窒素飢餓」という現象を起こしてしまうので、尿素を混ぜて炭素/窒素の比率(C/N比と言って、プロのお百姓さんにとっては常識)を調整すると言う工夫をしています。

 最初に選んだのは、比較的シロウトにも作りやすくて、結果がすぐに出る葉っぱ物のチンゲンサイと水菜です。Ⓐの未発酵の竹パウダーを土の中で発酵させるという上級者レベルの作り方+発酵させた竹パウダーによる作り方+通常の化成肥料による作り方の3パターンを同じ畑で栽培して比べる事にしました。

 おばさんちの畑をひと畝(うね)借りて、種をまき、芽が時点で間引きした状態を比べてみると何となく竹パウダーを使ったほうが生育がよさそう!これは期待できる!!とワクワクしながら約2週間。果たして結果は??!!!!

→比べるまでも無く、3パターンともほぼ全滅・・・・・

Photo_4 無残にも虫に食われてしまった・・・・・
そうです。私は肥料のことしか頭になくて農薬をかけるなどという発想は全くなかったわけ。この時の様子:右上は水菜、右下はチンゲンサイです。水菜なんて筋しか残っていない!
「地元農業を救おう」なんて何と大それた話であるか!まともに野菜を作るって生易しい事ではなかったのです。
 このときから悪戦苦闘が始まりました。これはブログなんか書いてる場合ではない!(私信:koron-mamaさんへ:そういうわ Photo_6けで5年間続きを書けなかったのです。スミマセン)この時はやむを得ず農薬を撒いて虫を追い払いました。するとこの状態からある程度回復したのには驚きました。(生命力ってすごい!)

 

何より感じたのは

<農業って難しい!でも面白そう!>

そう。私は「農」に目覚めてしまったのでした。それからいろんな勉強をしていろんなことがわかってきました。この場でボツボツと紹介させていただきます。今までの一番の収穫は「これをやってると一生退屈せんでええなー」と思えることです。